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ユダヤ人の少年がカトリック教会に連れ去られ…佐藤優が「家族愛と信仰の間」を“皮膚感覚”で理解した理由<19世紀の実話を映画化>

映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』

2024/04/26

source : 週刊文春CINEMA 2024春号

genre : エンタメ, 映画

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 1852年、現在のイタリア・ボローニャの豊かなユダヤ人一家の嬰児エドガルド・モルターラが病気で死にかけたので、キリスト教徒の家政婦が洗礼を授けた。

洗礼を受けていない子供は天国へ行けないカトリック

 キリスト教では洗礼を授けるのは原則として聖職者しかできない。ただし、死が迫った人に対しては一般信者でも緊急洗礼を授けることができる。

 家政婦はカトリックの教えに従い、洗礼を受けていない子供は天国に行くことができず、リンボ(辺獄、洗礼を受けない魂がいる天国でも地獄でもない場所)に留まることを恐れたからだ(因みに、評者が信じるプロテスタントでは、誰が天国に行くかは、神が予め定めているので洗礼の有無は本質的問題ではない)。

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©IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)

 家政婦が善意で行った緊急洗礼が、悲劇をもたらす。因みにこの映画ではエドガルドに対する緊急洗礼が本当に行われたか否かも藪の中とされているのが面白い。

 1858年、6歳のエドガルドが異端審問所警察によって家族から引き離され、ローマに連行され、修道院に入れられた。何者かが異端審問所にエドガルドが洗礼を受け、キリスト教徒になったことを通報したのだ。

 当時の教会法では、キリスト教徒の子供がユダヤ教徒の両親の許で育てられることが認められていなかったからだ。

教会の体制強化を図った教皇ピウス9世の時代

 この事件が19世紀半ばという理性を重視する啓蒙の思想が普及し、無神論者も登場してきた時代に発生したことが興味深い。

©IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)

 中世のようにカトリック教会と社会が一体化しているような時代だったならば、このような事案が生じても、大きな騒動にせず、教会が大人の対応をとることができたからだ。