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その発表会が秋に開かれ、そこでは「白雲なびく」で始まる有名な明大の校歌や、短めのドイツ曲などが披露されましたが、最後に「流浪の民」(ドイツの作曲家ロベルト・シューマンが1840年に作曲した「三つの詩 作品二九」の中の1曲)の合唱があって、嘉子がソプラノソロを務めました。

この頃の嘉子も、やはり迷信を信じるようなところがあったようで、友人の一人が、一緒に「こっくりさん」をやってテストに何が出るかを「こっくりさん」に聞いた思い出を語っています。理知的でありながら無邪気な一面を持つ、嘉子らしいエピソードです。

もっとも、嘉子の孫にあたる團藤美奈さんの記憶の中には、「おばあちゃん」として接した嘉子のイメージとして、迷信や占いを信じるようなところはなかったということなので、青春時代の一時のことなのかもしれません。

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小林薫が演じる穂高のモデルになった教授が女子部を熱心に指導

入学した頃には50人ほどいた同級生は、結婚などで退学する者も多く、卒業の頃には20人程度にまで減ってしまいました。小さな学校でしたが(明大女子部法科の入学者数は徐々に減少し、嘉子が卒業して明大法学部に通い出した頃には、20人強まで落ち込んで廃止論も起こりますが、その後回復していきます)、それでも、年齢の幅や思想の幅も広く、多様性に富んだその環境は、嘉子に大きなプラスの影響を与えました。また、穂積重遠などの教授たちが、とても熱心に力を入れて講義を展開していたことも、大きな刺激になっていました。

後に嘉子は、明大女子部を引き継いだ明治大学短期大学の創立50周年記念講演に出席し、女性が大学で法律や経済を学ぶこと自体が白い目で見られていた時代であったので、女子部の学生たちはとてもエリート意識などを持てなかったこと、しかし、自分に力をつけて人間らしく生きていこうという気持ちが強かったことなどを語っています。

人間であるということ、人間として生きるということ。嘉子の人生を貫くこの意識は、青春時代に形成されていったのだと思われます。