67歳の母が突然「あげるわよ。腎臓」と…
翌日は勤労感謝の日で祝日。いったん会社で残務を片付け、京浜急行の快特電車で神奈川県横須賀市の実家に向かった。実家に着けば、母と向き合わなければならない。そこから逃げたい一心で、何度も普通電車に乗り換えようとした。1時間後、恐る恐る実家のドアを開けると、母と先に到着していた妻と娘が出迎えてくれた。
「体は大丈夫なの?」
「うん、きついね」
当たり障りのないやりとりが続く。肝心の話を切り出せないでいると、母がしびれを切らしたように突然言った。
「あげるわよ。腎臓。なんでもっと早くに言わなかったの。あなたは奥さんと娘のために生きなきゃだめでしょ。腎臓なんて2つあるんだから、1個なくなったって平気よ!」
あっけにとられていると、畳みかけられた。
「申し訳ないとか思ったらだめ。私はあなたの母親なんだから」
私が母に言い出せないであろうことを予想して、妻が病院での話を伝えていた。
母は自他共に認める“天然”で、いつも一時の感情だけで動く。「本当にいいの?」。しつこく繰り返すと、怒り始めた。
「うるさいわねえ。あげるって言ったでしょ!」
本当に高齢の母は大丈夫なのだろうか
その夜は実家に泊まったが、またも眠れなかった。申し訳なさと困惑が頭の中で渦巻き、目はさえているのに何も考えられない。
週が明けた月曜日、寺下医師に電話すると、「よかったです。ご一緒に受診していただくことはできますか」と明るい声で言われた。
でも、本当に高齢の母は大丈夫なのだろうか。こんな親不孝をしていいのか。迷いながらも、移植へのレールは、もう敷かれ始めていた。
その人は笑顔で手を振りながら、妻と私が待つ車に駆け寄ってきた。まるで買い物か食事にでも行くような足取りだ。私の母、67歳。苦笑しながらも、その明るさに救われた。
2018年12月6日、雨の川崎市・武蔵小杉駅北口ロータリー。これから向かう聖マリアンナ医科大学病院の腎移植外来では、母がドナーになれるかどうか、医師の診断が待っていた。