「やります。お願いします!」母の言葉に医師が困惑
「横須賀からここまで1時間半もかかったわよ。でも、運動になるからいいわね」母は後部座席に乗り込むなり、気の向くままに話し続けた。
「でも、病院は苦手ね。痛いから」
そうだった。母は痛いのがダメで、注射も怖がる。それなのに生体腎移植のドナーを志願してくれた。そう思い至ると、申し訳なさにまた心は沈んだ。
病院に着いても、母は声を落とさない。
「病院はやっぱり嫌。陰気よ。いるだけで病気になっちゃう」
私は慌てて「ほかの患者さんもいるから」と注意するが、どこ吹く風だ。診察室でもこの調子だった。
「一樹さんのドナーになっていただけると伺いました。お気持ちに変わりありませんか?」意思を確認する寺下真帆医師に母は勇ましかった。
「やります。お願いします! でも、痛いのは嫌。痛くしないでくださいね」
寺下医師は、困惑している。私は後ろで目線を落として縮こまっていた。
「手術は痛いかもしれません。大丈夫ですか?」。寺下医師の言葉に、母はさすがに小声になった。「うーん。麻酔は効くでしょ? なるべく痛くないようにしてね」
初めて、生体腎移植に前向きになれた
弱気を断ち切るために、気丈にふるまっているのだろう。それが分かるから、泣きそうになった。
「早く進めてください。早くね!こういうことはゆっくりやっちゃだめ」
笑顔で迫る母に若い寺下医師も圧倒されたのか、その日のうちに血液検査や心電図にX線、CTなどの検査が一気に進んだ。
「もう後戻りできないな」。私も、気を引き締めた。ただ1つ、母が寺下医師に聞かれて答えた「(血圧を抑える)降圧剤を飲んでいます」という言葉が、どうにも引っかかった。
母を横須賀まで1本で帰れる京急川崎駅まで送ると、車の降り際に言った。「2人(筆者と妻)とも頑張りなさいよ。移植すれば楽になるから。私は家に帰ってご飯作らないと。ああ忙しい! それじゃ!」
バタン! 口調もドアの閉め方が強いところも、「いつも通り」がありがたかった。「移植まで頑張ろう」。初めて、生体腎移植に前向きになれた。