近所のスター・ヒロミさんに弟子入り志願
―― 芸人になるために、ヒロミさんに相談されたことがあるそうですね?
児嶋 高3ぐらいだったかな。人づてでヒロミさんの弟子になりたいと伝えてもらったことがあります。実家同士が近くて、ヒロミさんの妹さんが僕の同級生だったこともあって、親同士も知っていたんです。それで何回かヒロミさんのご実家に通ったりしてたら、「じゃあ1回会いましょう」という風になって。それが19歳……、高校卒業した後ぐらいだと思います。
―― ヒロミさんとはどこでお会いになったんですか?
児嶋 『1or8』という番組の収録現場にお邪魔したんですよ。なんか倉庫みたいなところだったような記憶がありますね。それで空き時間の楽屋に入れてもらって、お話ししたんですよ。ヒロミさんには「俺が弟子なんかとってもしょうがない」って断られたんですけど、そんな話をしてるすぐ横に、飯島直子さんがいたのを覚えてます。
―― 当時の児嶋さんにとって、ヒロミさんってどんな存在だったんですか。
児嶋 近所のスターですから、憧れてました。カッコいいなーって。だって同級生のお兄ちゃんがあのたけしさん、さんまさん、ダウンタウンさん、とんねるずさん、タモリさん……、テレビの向こう側にいるトップスターとお笑いで絡んでるんですよ。わぁ、なんか夢あるなって。だからある意味一番影響を受けてるかもしれないですね。テレビの世界が身近に感じていたのもヒロミさんのおかげだろうと思っています。
人力舎のお笑い養成所に「補欠合格」
―― 現在の事務所、人力舎に所属されるようになったのは、どんなきっかけなんですか?
児嶋 ヒロミさんにお会いしたときに、当時のマネージャーの方から「うちの事務所でお笑い養成所が始まるらしいから、そこ行ってみたらどうだ」って教えていただいたんです。
―― それが人力舎の養成所、スクールJCAなんですね。
児嶋 締め切りギリギリに履歴書出したんですよ。そうすれば、オーディション番号から、何人くらい受験して、どれくらいの倍率でって事前に把握できるから。そしたら107番だったんですよ。お、意外と受けるんだな、なんて思って会場に行ったら7人しかいないの(笑)。事務所がカッコつけるために、100から番号をつけてたんですよ。うわっなんだ、きたねーって。
―― あはは(笑)。
児嶋 7人中6人合格、1人補欠合格。その補欠合格っていうのが僕。
―― え、唯一の補欠合格なんですか!
児嶋 もう全然目も合わせない、声も小さい、ちょっとヤバいやつって感じだったらしいですよ。でも事務所的には養成所始めたばっかりだったので、当時入校料が60万円だったと思うんですけど、「60万払えるか」って言われて、「払えます」って言ったら、「まぁ、じゃあ補欠合格で」みたいな感じ(笑)。
―― その時の審査員はどんな方々だったんですか。
児嶋 先輩芸人のブッチャーブラザーズさん、亡くなった先代の社長、シティーボーイズさん、B21(スペシャル)のマネージャーさんといった方々だったと思います。