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なぜいつも「短命政権」に終わるのか?

――ディナモと日本代表、それぞれの解任のケースに違いは見られるだろうか?

「去り方としては似通っているが、ディナモでそうなることは予想されたことだ。ヴァハ以前にも多くの監督が去るはめになったからね。だが、彼自身も計算はしていたといえる。それだけに、日本代表のケースのほうがやっぱりショックが大きい。ワールドカップ開幕の2カ月前ではあるし、我われヨーロッパ人の認識では、日本は組織化されて秩序だった国であり、規律と正確性の模範ともいうべき国であるからね。このような予期せぬ転換が、君の国で起こることなんて稀じゃないか」

ベンチ前に立つハリルホジッチ ©長束恭行

――ディナモでの彼のモットーは「ワーク、ルール、ディシプリン」だったことを覚えている。それらの象徴ともいうべき日本でこんな結末を迎えようとは、君も予想できただろうか?

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「ワールドカップ開幕2カ月前に代表監督が去ることなど予想するのは難しいが、サッカー界では何でも起こり得るからね。ヴァハは日本サッカー界に多くを期待していたし、もっと選手のクオリティが高いこと、日本のサッカーが進歩していることを期待していたような印象を私は抱いていた。

 しかし、彼が目にしたものはそうではなかった。そのことを日本でも頻繁に彼が公言していたことは知っている。日本はもっとサッカーに投資すべきだ、もっと新しくて若い選手を手に入れるべきだ、とね。今から2カ月前に『ワールドカップ後は間違いなく日本を去る』と彼は私に告げていた。だが、それよりも前に去ることになるとは誰も予想していなかった」

解任後も「誰とでもフェアな関係を結んでいる」

――ディナモでは8カ月の短命政権に終わったが、彼はクラブにどんな跡を残していったのだろうか?

「ズドラヴコ・マミッチ会長と喧嘩してチームを去るという、嵐のような日々が過ぎたあとでも、彼は多くのディナモ関係者と良好な関係を残していった。クラブで働く人々とも連絡を取り合い、とりわけ会長の弟でスポーツディレクター兼監督だったゾラン(現アル・アイン監督)とは密接な関係だった。例えば、ディナモに5年間在籍し、現在はリーグ最高の選手というべきスーダニは、ヴァハがディナモ移籍を薦めたFWだ。ヴァハはアルジェリア代表でスーダニを指導したこともあり、ディナモはスーダニにとってふさわしいクラブだと選手本人に伝え、スーダニはディナモにとってふさわしい選手だとディナモ側に伝えた。ヴァハがクロアチアを訪れた際には、ディナモの試合を観戦することも知られている。誰とでもフェアな関係を結んでいるのさ」

ヨーロッパリーグ2010-2011、ビジャレアル戦の試合後会見。選手達を労い、舐めてかかった敵将に対して「まだ若いが、学ぶ時間は残されている」と発言した。 ©長束恭行

――最後に、これまでハリルホジッチと何度も話してきた仲だけど、電話口での彼の状態を君はどう感じ取った? インタビューで掲載されたこと以外のことも話したのかい? 

「解任のテーマ以外はほとんど話さなかったよ。さほど話したがる雰囲気ではなかったわけだし。彼は解任されたことに失望していたし、ショックを受けていた。そのことは常に繰り返していた。本当に衝撃的だったことは彼の声から聞き取れたね」

東欧サッカークロニクル

長束恭行(著)

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2018年5月11日 発売

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