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 子供を産むか悩んだ末…

 40代に入ってからは音楽活動も再開し、1995年には音楽家の小西康陽のプロデュースでアルバム『九月のマリー』をリリースした。2006年に結成したブルースバンド「ジビエ・ド・マリ」のパーカッショニストの斉藤ノヴとは、やがて私生活でも事実婚という形でパートナーとなり、2011年の東日本大震災を契機に婚姻届を出す。

 この間、2008年には「One of Love」というプロジェクトを立ち上げ、アフリカなどの途上国の子供たちの教育環境とその母親である働く女性たちの環境の向上を目的に、現在まで支援活動を展開している。支援の資金源となるのは、「マリルージュ」という夏木のオリジナルの紅いバラの販売と、斉藤たちと毎年行うGIG(支援コンサート)による収益だ。

©文藝春秋

 この活動を始める発端は、40代後半のころ、エルサルバドル、バングラデシュ、エチオピアの子供たちに送金を始めたことだった。その動機のひとつには、自分には子供がいないということもあったという。夏木は「印象派」を始めた40代前半、出産可能年齢のリミットを迎え、子供を産むか悩んだ末、「『印象派』が私の子供なんだ」と決意していた。

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 妊娠中の土屋太鳳にかけた言葉

「印象派」は2009年にカンパニー形式へと移行し、毎回、共演者やクリエイターを招いてつくる「印象派NÉO」に発展した。昨年上演した『The Miracle of Pinocchio ピノキオの偉烈』では、プリンシパルに土屋太鳳を迎えた。

 土屋はこのとき、第1子を妊娠中であった。出演を決めたあとで妊娠がわかったため、いったんは断ろうとしたものの、夏木が《おなかに赤ちゃんのいる太鳳さんをどう表現できるか、演出家としての課題を神様からいただいた気がします》と言ってくれ、感動したという。対談で土屋からそう聞かされ、夏木は《今回はカンパニー全員で太鳳さんの赤ちゃんを産むという気持ちで臨みますので、健康だけに注意していただけたら。こんな奇跡はありませんから》と伝えた(以上、引用は『AERA』2023年6月19日号)。

 同公演は6月に行われ、土屋はその2ヵ月後、無事出産する。夏木が子供を産む代わりに続けてきた「印象派」が、このような形で新たな命の誕生に立ち合ったことに、彼女でなくても神様の導きのようなものを感じてしまう。

 昨年にはまた、夏木マリとしてデビューして50周年を記念し、新曲「TOKYO JUNK BOOGIE」をリリースした。これは、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」を、気鋭の音楽家の坂東祐大が多数用意したアレンジのなかから一番極端なものを彼女自ら選び、カバーしたものだった。70代に入ってもなお新たなことに挑戦を続ける彼女は、今後も個性豊かな“子供たち”を世に送り続けていくことだろう。