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イクサの“旧道”という醍醐味

 大用知トンネルの前には、山から崩れてきた大量の土砂が堆積している。異例の大工事が功を奏していることは、目の前の光景が物語っている。

大用知トンネルの前に堆積した大量の土砂

 国道193号は、この大用知トンネルに限らず随所に旧道が存在しており、それがとても魅力的だ。旧道は“国道”指定を外されているため、“酷道”とは呼べない。しかし、国道の成り立ちや災害との闘いの歴史を知るうえで、とても重要な手がかりとなる。

旧道を引き返す

 この先、那賀川を渡る出合ゆず大橋の付近も大幅なルート変更があり、トンネルと橋を含む旧道が残されている。ただし、ここは通行が禁止されているため、現道から眺めるだけに留めておいた。

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出合ゆず大橋付近に残る旧道。左は現国道

 さらに進むと最後の難関、霧越(きりごえ)峠が近づいてくる。峠の手前でも旧道に逸れた。1車線の幅しかないトンネルや、取り残された国道標識もあり、旧道を堪能した。

旧道区間に残されていた国道標識、通称オニギリ。これは嬉しい

 現道に戻ると、いよいよ霧越峠だ。この区間は昔から街道として利用され、霧がよく発生していたので、この地名になったといわれている。

 自然を感じる心地よい酷道区間が続く。対向車とすれ違うことができない道幅、路面には無数の落ち葉、ガードレールは見当たらない。落ちないように慎重に進む。

ガードレールのない道を慎重に進んで行く

 林道との分岐点では、どちらが国道か見分けがつかないため“193号→”とわざわざ表示してくれている。

林道との分岐点に設置された倒れかけの案内看板

 さらに酷道を走ること1時間。徳島県海陽町の市街地が近づいてくると、久々にセンターラインが現れた。吉野川で酷道に入ってから5時間以上が経過し、あたりは既に暗くなっていた。

 国道193号の終点に到達し、半日に及ぶ酷道との長い戦は終わった。見ごろを迎えた紅葉と、イクサ再訪の主目的であった旧道の姿を見ることができて、とても充実した一日だ。

国道193号旧道区間のトンネル

 とはいえ、常に全方向に注意を向けながら運転しないといけない酷道を長時間走り続けるというのは、とても神経を削られる。安心すると同時に、ドッと疲れが出てくるもの。イクサ探索は終わったが、私の戦はまだ終わっていない。これから岐阜の自宅に戻るという戦が残っている。

「本当の戦は、明日の出勤かもしれない」

 そんなことを思いながら、四国のイクサをあとにした。

撮影=鹿取茂雄

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。