埼玉県民である筆者は、日頃から「ださいたま」という蔑称を胸の奥に抱えて生きている。こうして地名にいわれのない(?)イメージが結びついてしまうのは世の常であって、たとえば「談合坂サービスエリア」という名称にはどうしても「渋滞」の二文字がついてまわる。

 とはいえ「ださいたま」という人の多くが実際の埼玉を知らないように、「談合坂が実際どんなエリアなのか」を知る人は少ないだろう。はたしてそこには、定着したイメージを覆すなにかがあるのだろうか。

談合坂サービスエリア(下り)の看板

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国際色豊かな談合坂サービスエリア

 東京の花見ムードが一段落し、浮かれたムードが新年度の緊張感へと収縮していく4月初旬、筆者の軽自動車は八王子ICから続く中央道下りの急傾斜をけたたましく上っていた。まったくなんだって、こんなハードなルートをこしらえたのだろう。

 戦後の復興を賭けた国土開発の動脈として、1962年に東名高速と同時に着工された中央道だが、山間部を切り拓くルートは建設費も高く、小仏トンネルや談合坂付近においても斜面の崩壊がしばしば問題となったという。

 1969年に八王子IC~大月IC間が開通した際、この区間は暫定的に中央分離帯のない2車線の対面通行とされ、正面衝突などの重大事故も頻発していたようだ。加えて、息も絶え絶えに登坂する愛車の姿を見ていると、当時の自動車がこの急斜面を無事にクリアできていたのかどうかも疑問に思えてしまう。

 軽い耳鳴りに滅入りながらも談合坂サービスエリアに着くと、平日の昼前にもかかわらず、駐車場は満車に近い状態。空きを探す車の列がゆるゆると進む。

平日の午前中にもかかわらず、下り側のSAには観光地に向かう人々の姿が

 車を降りてまず気づくのは、肌に触れる空気がひんやりしていることだ。標高約380mというだけあって、都内に比べ明らかに気温が低い。桜の開花時期も1週間ほど遅いようで、満開の桜を写真に収める人々の姿も目立つ。

 スマホをかかげる人たちのなかには外国人観光客も多い。中華系がやや多い印象だが、ヒジャブをまとった女性たちやヒスパニック系の男性グループなど国籍も人種も多様である。ただ、日本人たちが景色にレンズを向けているのに対し、彼らはサービスエリアの施設そのものにも興味を引かれているようだ。談合坂のように、小さなショッピングモールのごとく商業施設がパッケージングされているSAは、世界的に見ても珍しいのかもしれない。