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 羽田空港から帰宅するほんの数時間の間に、未曾有の大事故が起きていたのだ。

御巣鷹山の尾根に残されたジャンボ機の片方の翼

「テレビをつけたら特番で羽田から中継をしていたけど、まだ墜落場所も判明していませんでした。撮影機材を準備して、近所の店で弁当を2つ買ってきたらハイヤーが来た。乗り込むと登山用リュック、2リットルの水が3本、登山靴などが置かれていた。自宅の冷蔵庫で保存していた白黒フィルムを持ち、現場がどこかもはっきりしないまま、とりあえず深夜0時ごろに長野方面に向かって出発しました」

ヘリへ遺体を収容する陸自習志野空挺団員たち

 高天原山の山中で火災が発生しているのを最初に発見したのは、たまたま上空を通りかかった米軍のC-130輸送機だった。それが19時15分ごろで、捜索のために出動した航空自衛隊のRF4ファントムという偵察機が大規模な火災を確認した。

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 だが、墜落場所は普段は人が入らない原生林で、月明かりもない日だったので、地上は暗闇に包まれていた。GPSがない時代で、空から目視で位置を確認しようにも、真っ暗な森林に航空燃料の燃える煙が広がっていたため、場所の特定は困難だったという。

ラジオは延々と乗客の名前を読み上げるだけ

 橋本氏は目的地も定まらないまま、中央道に乗り、長野方面に向かった。スマホも携帯もインターネットもない時代である。車内で情報を得る手段は、ラジオしかなかった。

「ラジオは、日航123便の乗員乗客の名前を延々と読み上げるだけでした。他に情報が何もなかったのでしょう。歌手の坂本九さんを筆頭に有名な人が何人も搭乗していたことを後で知ったんですが、名前を聞き逃したのか、本名(大島九:おおしまひさし)で搭乗していたのか、まったく気づかなかったですね。

 車中では、カメラにフィルムを装填するためにフィルムロールを短く切ってパトローネに巻き直す作業に没頭していたのですが、ふと車窓を眺めたら、自衛隊車両が見えたんです。追い抜いていくと、また自衛隊の車両がいる。これについていけばいいと思い、運転手さんに追いかけるようにお願いした。自衛隊車両を追って、長坂インターから中央道を降りました」

遺体捜索をする群馬県警の隊員たち

 自衛隊の車両だけでなく、遺族を乗せているとおぼしきバスもみかけた。窓にはカーテンが閉まっていたが、その隙間から無表情で固まった遺族らしき人の姿が見えたという。