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 で、振り返るとその直前の1年は猫写真を頑張ってやってたから、僕の行く末を案じてくれているお客さんのお姉さま方に対して、「猫写真家」と名乗れば安心するだろうと思って、やっぱりその日のうちに名刺を作ったんです。

――行動力がすごいですね。独立後も1冊目の写真集をすぐに発売されていますし、最初から順調だったように見えます。

©三宅史郎/文藝春秋

 はじめはお姉さまたちに怒られたくない一心でブログを起ち上げたりしていたのですが、独立した年に、『飛び猫』で有名な五十嵐健太さん主催の合同写真展に出させてもらえたり、運良く、『ぶさにゃん』も出すことができたんです。

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 ただ、なかなか重版がかからなかったんですね。そのときになってすっと、「これはしくったな。思っていた青写真とまったく違う」と思いました。当時、身の回りにいた写真家の人たちはすぐに重版がかかっていたから、自分もいけるやろと、どこかで思っていたんです。

「ああ、これでやっと暮らしていけるかも」まで2年…安定しない生活の中で撮り続けた理由

――軌道に乗り始めたと感じるようになられたのはどんなタイミングからですか?

 それから2年後、2017年に発売した『必死すぎるネコ』が版を重ねてメディアにも取り上げられたことで、ああ、これでやっと暮らしていけるかも、と思えました。会社を辞めてからそれまでの間は、親のすねをかじったり、前の会社からバイトをもらったりしてなんとか食いつないでいたんです。

©沖昌之

――その2年の間に、猫写真家を諦めようとしたことはなかったですか。

 出版社の方が、分からへんけど、「頑張れ」って言ってくれたんです。応援されてるから逃げたらあかん、この人たちに対して結果を出さないと、というのはずっと思ってました。

 自分じゃよく分からないけど、その人たちが僕の写真を「いい」と言ってくれている。だから、その言葉を信じてやるしかない、という感じです。