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“写真嫌いの写ルンです世代”だった“定時で帰りたいサラリーマン”が猫専門写真家の夢と出会うまで「手に職もなく30過ぎて上京して…」

猫写真家・沖昌之さんインタビュー#1

2024/05/12
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「写ルンです」世代だった学生時代、「撮ってあげるよ」と言われると…

――今では20冊に迫るほど写真集を作られてきた沖さんですが、もともと、写真とは縁遠い生活を送っていたとお聞きしました。

 そもそも僕自身が写真を撮られるのが嫌いで、全然カメラに近寄らない人間だったんです。

 僕は「写ルンです」世代なんですけど、旅行とかに行くと、「じゃあ沖のも撮ってあげるよ」と、だいたい写真の撮り合いっこになって。でも、それが嫌だったから、そのタイミングが来そうだと思ったら空を見てやり過ごす、みたいな生き方をしていました。

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「高卒で手に職もなく30歳を過ぎて上京して…」配送係だけやって絶対定時に帰ろうと思っていたはずが…

――そんな写真嫌いの沖さんが、どうしてカメラと接点ができたんですか?

 もともと高卒で、手に職もなく、30になって兵庫から縁のない東京に出てきて、全然仕事も見つからず、自分はポンコツやな、と思いながらのらりくらりやってて。

 そんな中、ありがたいことに北千住の婦人服屋さんに雇ってもらえたんです。「配送係」という仕事があったので、人と接することが好きじゃない自分にはピッタリだと思って入ったんですけど、入社したらWeb用に商品の写真を撮ってほしいと社長に言われて、商品の物撮りをすることになったんです。

――仕事としてカメラをはじめることになったんですね。

 配送係だけやって絶対定時に帰ろうと思っていた自分としては予想外の仕事でした。しかも、社長はめちゃくちゃスパルタで、「下手下手」とお叱りを受けながらやっていて。

 ただ、職場で使っていたカメラやレンズがよかったのか、素人でもときたま、抜け感のあるきれいな写真が撮れたんですね。それがすごくうれしくて、「ああ、写真って楽しいな」となってきたんです。

©三宅史郎/文藝春秋

35歳の大晦日、公園で見つけたアメショ柄の猫が人生の歯車を…

――その頃から猫を撮っていたんですか?

 「ライフスタイルを豊かにする」というのがその会社のキャッチコピーだったので、商品の洋服だけでなく、スカイツリーや季節の花とか、スイーツなんかも撮ってSNSに上げていました。でも、当然、本職の写真家に比べたら「いいね」はつかないわけです。

 まあそんなもんだよねと思って、趣味の範囲で一生カメラをやろうかなと思っていた35歳の大晦日に、たまたま公園でアメショ柄の猫、「ぶさにゃん先輩。」に会って。「ぶさにゃん先輩。」って、勝手に僕が名付けたんですけど。