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“写真嫌いの写ルンです世代”だった“定時で帰りたいサラリーマン”が猫専門写真家の夢と出会うまで「手に職もなく30過ぎて上京して…」

猫写真家・沖昌之さんインタビュー#1

2024/05/12
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――後に『ぶさにゃん』として写真集にも載った猫ですね。なにかビビッとくるものを感じたんですか?

 語り始めるとキリがないんですが(笑)、まず、絶対的“家猫感”があるにもかかわらず、なぜか外にいる。身体はふくよかで、顔はつぶれ顔。自分が好きだったロシアンブルーとかアビシニアンみたいなスマートな猫の対極にいる子でしたが、妙に惹かれて、次の日から休憩時間の度に撮りに行くようになりました。被写体としてはじめて撮った猫が、ぶさにゃん先輩。になったんです。

最初の写真集『ぶさにゃん』(新潮社) ©三宅史郎/文藝春秋

「会社のSNS、どうせ社長も見てへんから好きにやったれと思って…」

――ぶさにゃん先輩。を撮っているときは、スカイツリーやスイーツとは違う“撮り応え”がありましたか。

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 社長からちょうどインスタグラムの担当も任されていたんですけど、何をアップしても反応は薄いし、どうせ社長も見てへんから好きにやったれと思って、ぶさにゃん先輩。の写真を上げてみたんです。そうしたら意外と反応が良かったので、世界のどこかで僕の猫写真を喜んでくれる人がいたらいいなと思って、毎日1枚アップしはじめて。

――それが「猫専門写真家」になるきっかけになったんですね。もともと、猫はお好きだったんですか。

©沖昌之

 猫自体は好きでしたけど、それまではみんな同じ「猫」と思っていました。でも、よくよく見ていると、実は一匹ずつみんな心があって、全く別ものというか、みんなかわいいんだなと思えてきて。そういういろんな猫たちの心が見える瞬間を撮れたらいいなと思って、被写体に対して深掘りするようになりました。

 そうこうするうちに1年がたって、ある日、朝の打ち合わせが終わってすぐに「会社辞めよう」と思い立って、そのまま昼には辞表を出していました。

「怒られたくない」一心ではじめた猫写真家活動。しかし目の前に「壁」が…

――ものすごく急な展開ですね。写真家としての独立を計画されていたのでしょうか。

 何のあても計画もなく、辞めました。辞めたことに関しては後悔もありませんでしたが、辞表を出した後に、「仕事もないのにどうやって生きていくんだ?」と自問自答したくらい(笑)。