日中戦争下の一九三八年、従軍作家として北京に派遣されていた小柳逸馬に、前線への出張要請が下る。行先は万里の長城、張飛嶺。天を衝く山頂にある監視廠である。
同行するのは、若き検閲班長・川津中尉。彼が参謀長から受けた命令は「憲兵隊の手に余る大事件が惹起した。ついては本邦随一の探偵作家たる小柳逸馬先生を現場に派遣して、真相を究明してほしい」というものだった。かくして、中年作家と若手将校のコンビが、分隊の十名が全員死亡するという事件を捜査することになる。
前年に盧溝橋で起きた日中両軍の衝突が拡大し、全面戦争の様相を呈してきた時期である。蒋介石の中国軍は思いのほか強く、その上、毛沢東の率いる共産軍がゲリラ戦を展開している。そうした状況下で孤立した小隊で事件は起きた。ゲリラに襲われたなら問題はないが、部隊内での大量殺人事件なら大問題だ。
戦場を舞台にしたミステリー小説だが、ホームズとワトソンを彷彿とさせる、探偵作家と軍人の組み合わせがまず面白い。流行作家の小柳は世故に長けた中年男。帝大仏文科卒で、就職難のため職業軍人となった川津中尉は、頭脳明晰だが世間知にはやや欠ける青年である。
読者は、噛み合わないのになぜか息の合う二人の謎解きに付き合いながら、軍隊内の複雑な人間模様に分け入っていくことになる。
本作を読んで改めて、戦時の軍隊があらゆる階層の日本人の共同体であり、平時なら出会うことのない者同士が生死をともにする場所であることに思い至った。
現役、予備役、後備役が寄せ集められた部隊では、年齢も生い立ちも前歴もみな違う。この物語の主要人物も、尋常小学校を出て十四年間憲兵一筋の曹長、元銀行員の大尉、役所勤めをしていた軍曹、元ヤクザの伍長などバラバラである。私は取材で軍隊経験のある人たちの聞き取りをしたことがあるが、軍隊に入って初めて革の靴をはいた、ライスカレーを食べたという人もいれば、都会育ちで、虎屋の羊羹を食べたことがあるというだけで古参兵にいじめられたという人もいた。
交わるはずのない幾つもの人生が交わるのが軍隊であり戦場である。本書では殺人捜査の形をとって、各々の人生の断面をあざやかに切り取って見せてくれる。そしてそれが、事件解決の大きなヒントになるのである。
物語の終盤、それまで主役のコンビの個性と洒落た会話に導かれ、残酷な事件ながら軽快にページをめくってきた読者は、この犯罪の大きな構図に突き当たることになる。
軍とは何か、戦争とは何か。罪とは、大義とは……。小説が隠し持っていた大きなテーマに気づかされ、しばし茫然となるに違いない。