──原典の落語にはない仇討ちという要素が、映画を“白石作品”らしくしました。大胆なアレンジだと感じましたが、そのアイデアは当初からあったのでしょうか。
白石 忠実に落語のストーリーを追うだけだと2時間もたないこともあって、加藤さんの脚本には初めから仇討ちがありました。ただ、格之進という人物を考えたとき、ぼくは復讐という要素は合わない、必要ないんじゃないかと難色を示したんです。
でもその後、脚本を練る過程で格之進を演じるのは草彅(剛)さんだというアイデアが出て、たしかにぴったり、だとしたら復讐もありだ!となって、ようやく本腰入れて本を作り直したんです。
時代劇だからこそできるファンタジー
──草彅さんというファクターによって映画の形が定まったんですね! そういった脚色の工夫に加え、時代劇というフォーマットで、制作にあたっていつもと勝手の違いはあったんでしょうか。
白石 苦労しましたね。時間をかけて江戸時代の資料を読み込みましたし、撮影所を出たところで撮れる場所も制限される。だから考える作業が現代劇より多いのですが、終わってみればそれが心地好かった。やっぱり時代劇っておもしろいなと感じました。
たとえばちょっとしたシーンでも、資料に忠実に撮ろうとすると、どこかで芝居に制約が出てくる。対策を考え、行き詰まったところで「じゃあ、当時を知ってるやつが今いるのか?」なんて思うと、最終的にぶっ壊す勇気が出てくるんです(笑)。
史実を積み上げたうえで壊す。それって時代劇だからこそできる、ファンタジーなんじゃないかと。
「ほぼ現代語の会話」と「時代劇ならではの様式美」
──登場人物の言葉遣いにしても、たとえば「拙者」じゃなくて「わたし」。会話がほぼ現代語だということも印象的でした。
白石 実はそこ、すごく考えたんですけど、今回はガチガチにしなくてもいいかなと。
もちろん歴史を研究して、時代考証の先生ともけっこう話したんですが、あからさまに現代の言葉でなければ、気にしないほうがいいというアドバイスをいただきました。
当時の言葉に寄せすぎると、単語の意味合いが今とは180度変わってたりすることもあって、訳が分からなくなる。