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 宮村本人が語っていることだが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない、と降板を申し出た彼女を「まずは治療に専念して」と慰留したのはプロデューサーであり、現場に入りやすい空気をいつも作ってくれたのは座長の高山みなみをはじめとする声優仲間であったという。『から紅の恋歌』で、宮村の魅力的な声は見事に復活している。それが可能だったのは、遠山和葉がコナンや蘭のようにテレビアニメにレギュラーで毎週登場するわけではないキャラクターだったこともある。

 和葉だけではない。服部平次、怪盗キッド、安室透、赤井秀一、魅力的なキャラクターたちにそれぞれのファンがいる。原作でもアニメでも、彼らはレギュラーで登場するわけではないにも関わらず、ファンが彼らの登場を待つことができるのは、90年代以降に急成長したファンダム文化が存在するからだ。

17作目『絶海の探偵』(2013年)で、遠山和葉役の宮村優子はバセドウ病と橋本病の2つの難病を患い、口を開くのもままならない状態で収録にのぞんでいた

ファンが紡ぐ、千の物語

 平次と和葉にも、そして怪盗キッドこと黒羽快斗と中森青子にも、ファンたちによって書かれた千の物語が存在する。その書き手にはプロ級の筆力を持った年長者もいれば、初めてペンを握ったばかりの小学生、中学生もいる。『名探偵コナン』をめぐる2次創作ファンダム文化はあまりに歴史も裾野も広大で到底ここで書き尽くすことはできないが、それはもはや巨大な文化圏であり、プロアマ問わず多くの書き手を育ててきた自然発生的システム、生態系のようにすら思える。

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 劇場映画シリーズが巨大な観客動員を記録し、ファンダムによる2次創作がひとつの文化圏を作り上げた『名探偵コナン』シリーズは、もはや死角のない、永遠に続くコンテンツの理想郷のように見える。だがその一方で、青山は『名探偵コナン』という物語を永遠ではない、一度きりの物語としていつか終わらせることを繰り返し語っている。

 25年以上にわたる長期連載だが、実は作品の中では同じ時間が繰り返されない。『サザエさん』や『ドラえもん』のように、シリーズの中で何度もクリスマスなどのイベントが繰り返される永劫回帰の時間軸で『名探偵コナン』は描かれていないのだ。あくまで彼はこれを「工藤新一と毛利蘭の、たった一度の青春の物語」として四半世紀以上描き続けている。

4月10日に『名探偵コナン』最新刊(105巻)が発売された

 劇場版『名探偵コナン』シリーズの興行収入の累計は1300億円。毎年100億円以上を積み立てる今のペースであれば、遠くない将来にスタジオジブリの累計を超える。街にはタイアップ商品があふれ(余談だがカラオケのビッグエコーで注文した平次と和葉のコラボドリンクは冷凍みかんが非常においしかった。レギュラー商品にしてほしい)、鳥取県への観光誘致、教育産業へのコナンキャラクターの展開など、経済効果の総量は想像もつかない。

「最終回のネーム、見たい? 見せてあげようか?」

『ダ・ヴィンチ』2024年5月号のインタビューで青山はそう語る。結末はすでに彼の中にあるのだという。もし青山が来年でコナンを終わらせるといえば、日本の映画産業は毎年100億円の収入を失うのだ。誰もが終わってほしくない、ずっと続けてほしいと思うのは当然だろう。だが物語が永遠に続くということは、新一と蘭が永遠にハッピーエンドを迎えることができないということを意味する。