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連載終了の危機もあった

 5月2日、NHKの人気ドキュメンタリー『プロフェッショナル 仕事の流儀』で青山剛昌の特集が組まれた。原作のコミック制作の密着が中心だったが、劇場版『名探偵コナン』シリーズの特色は、第1作から原作者の青山がアニメーション映画の制作に深くコミットしてきたことにある。2017年に出版された『青山剛昌30周年本』の3万字インタビューの中で、1997年に『名探偵コナン』が劇場版アニメ映画になる前、彼は「週刊少年サンデー」における連載をやめようとしていたことを率直に語っている。

「やっぱり、毎週毎週事件を考えるのって大変じゃないですか。しかも、編集部の上のほうの人からは、ああせいこうせいと、なんやかんや言われていたんです。そういうのが本当に嫌で、アシスタントたちと久しぶりに休みをとって、みんなでラスベガスへ行ったんですよ」

劇場版『名探偵コナン』シリーズ1作目『時計じかけの摩天楼』(1997年)

 その旅行から帰ってきたら連載を降りよう、と青山は心に決めていたのだという。今では信じられないことだが、同書を読む限り当時の編集部の青山に対する扱いは決して丁寧なものではない。同書に収録されている漫画家・島本和彦氏との対談では、『YAIBA』(1988~1993年)の連載中に編集者に「主人公の顔が驚いているように見えない」と言われ、「ではどんな顔なのか描いてみせてくれ」と問い返した青山に対し、編集者にネームの紙を丸めて、火をつけて投げつけられた思い出を語っている。

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 だが、『名探偵コナン』の終了を心に決めていた青山を思いとどまらせたのは、ラスベガスで滞在していたホテルにかかってきた編集部からの「アニメ映画化が決まった」という知らせだった。青山の中には映画、それもアニメ映画への強い思いがある。

原作者が語っていた映画への思い

「俺が覚えている一番古い記憶って、映画を見て感動したことなんです。『長靴をはいた猫』という作品なんですけど、幼稚園のころだったかなぁ」(『青山剛昌30周年本』より)

 筆者はこの記事を書く前、「青山剛昌ふるさと館」を取材するために鳥取県まで旅行にでかけた。人口数十万の鳥取県に存在する映画館は、県全体で4館である。だが、青山が幼い頃に見たのはその映画館のどれでもなく、「学校やなにかの施設で、児童たち向けに映画が上映されることってあるでしょ」という、移動興行や自主上映での映画体験だったという。

 青山は前掲の『青山剛昌30周年本』で「俺、1作目から脚本にも意見も言ってるし、映画の原画まで描いているしね」と語っている。彼の劇場版『名探偵コナン』に対する密接なコミットメントは、幼少期の映画体験に原点があるのかもしれない。

興行収入が跳ね上がった22作目『ゼロの執行人』(2018年)

 だが同時にそれは、原作者の意見を受け入れてきたアニメ制作側の努力でもある。劇場版『名探偵コナン』シリーズの歴史で、監督をつとめたのはたった6人。おそらくは『名探偵コナン』の世界観とキャラクターをよく理解し、原作者の青山剛昌とのコミュニケーションを厭わない監督が厳選されてきたのだろう。興行収入が跳ね上がった22作目『ゼロの執行人』(2018年、91.8億円)以降は立川譲監督と永岡智佳監督が交代で務めることが多くなっている。