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「自分はペースが遅いから」と1人で下山を開始

 山頂までの一般的なコースタイムはおよそ2時間10分で、最初の50分ほど尾根の急登が続いたのち、旧登山口からの道が合流する三差路を過ぎると傾斜は緩やかになる。登山経験の少ない横田には「ついていけるだろうか」という不安があったが、同行者がペースを合わせてくれ、適宜、休憩もとったので、さほどキツい思いをすることなく、11時45分ごろ山頂に着いた。

 登っているときはいい天気だったが、頂上は真っ白なガスに覆われていて、展望はまったくきかなかった。山頂で1時間ほど休憩をとり、同行者がコンロで沸かしてくれたお湯でカップラーメンをつくり、サンドイッチとともに食べた。行動中に見かけた登山者は1人か2人だけで、食事中に単独行の男性も上がってきたが、とくに会話は交わさなかった。

 午後1時ごろになり、「じゃあ、そろそろ下りようか」となったときに、同行者のひとりが「この近くに日本一美味しい湧き水があるそうだから、ちょっと見てくる」と言い出した。それを聞いた横田は、「自分はペースが遅いから、先に行きますね」と言って、ひと足早く下山にとりかかった。のちに聞いたところ、2人はその約10分後に頂上をあとにしたという。

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 下りはじめて間もなく、進行方向右側の斜面にシカの群れが見えた。登ってくるときに、同じ方向からシカの鳴き声が聞こえてきたので、その群れだろうと思った。家に帰ったら娘に見せて自慢しようと思い、群れを追って写真を撮りはじめた。その写真に記録された時刻は午後1時26分。どれぐらい追っていたのか、いつの間にか登山道から右側にだいぶ外れてしまっていた。

 我にかえり、登山道に戻らなければと、左方向に引き返していった。だが、立ち木と倒木が散在する草地状の広くなだらかな尾根は、どこを見ても同じような景色が広がっていて、ルートの目印になるようなものはなにも見当たらなかった。

©RATM/イメージマート

 どれぐらい歩いたのか、どこをどうたどったのかわからないが、ふとあたりを見回して、「あ、これは全然違う景色だ」ということに気がついた。どうやら戻りすぎて登山道を突っ切ってしまったようだった。それどころか、国見岳から小国見岳へ続く尾根も越えていたものと思われる。目にする景色は、登ってくるときに見たものとはまったく違っていた。YAMAPのアプリはスマホにダウンロードしていたが、起動すらしていなかった。

 このころにはガスが濃くなってきて、あたりは薄暗くなりつつあった。「ものすごく怖かったことを、今でもはっきり覚えています」と、横田は振り返って言う。