山は恐ろしい。遭難救助にヘリコプターが活用されるようになり、位置情報検索システムが実用化された現代でも、まるで神隠しに遭ったかのように行方がわからなくなる遭難事故がときたま起こる。
ここでは、長期遭難を生き延びたサバイバーにフリーライターの羽根田治氏が話を聞いた『ドキュメント生還2 長期遭難からの脱出』(山と溪谷社)より一部を抜粋。九州・国見(くにみ)岳で起きた6日間に渡る長期遭難の事例を紹介する。(全3回の1回目/続きを読む)
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同世代の男性2人と国見岳へ
会社で営業職に就いている横田慎二(仮名・38歳)は、プライベートでも顧客との交流を大事にしていて、山好きな顧客といっしょに登山を楽しむこともあった。
初めての山は、2021(令和3)年の夏に顧客と登った九重(くじゅう)山。秋口にも再び同じ山に登り、翌22(令和4)年の春には由布(ゆふ)岳に登った。登山に関しては初心者だったので、装備も熊本の登山用具店でスタッフに勧められたものを一式購入した。
その横田が、人生で4回目となる登山に出掛けたのは、22年8月10日のことである。行き先は熊本と宮崎の県境、九州脊梁山地の山奥に位置する標高1739メートルの国見岳。ブナやモミ、ツガなどの天然林が広がる熊本県の最高峰で、山麓には平家の落人伝説で知られる秘境「五家荘(ごかのしょう)」がある。山深いゆえアプローチはあまりよくないが、その名のとおり展望はすばらしく、一年を通して大勢の登山者で賑わう。
同行したのは40代および横田とほぼ同世代の男性2人で、いずれも仕事関係の顧客だった。
山に関しては2人ともかなりの熟練者だったが、山行を共にするのはこのときが初めてだった。
登山計画書はつくっていなかったが、熊本県側の新登山口から山頂を日帰りで往復する予定であることを口頭で聞いていた。
10日の朝5時半ごろ熊本市内の自宅を車で出発、すぐ近くにあるコンビニの駐車場で2人と落ち合った。当初は1台の車で行く予定だったが、その日の夕方、習いごとに行った娘を迎えにいく予定が入り、車2台で行くことになった。
過去3回の登山同様、妻には前日、「明日、山登りに行ってくるね」とだけ伝えていた。登る山の名前や、誰と行くのかは伝えていなかった。
熊本市内を抜け、国道445号を経て樅木林道に入り、路肩の駐車スペースに車を停めたのが8時ごろ。そこから歩いて林道をたどり、烏帽子(えぼし)岳登山口、五勇(ごゆう)谷橋を経て国見岳新登山口へ。9時前に登山口から登山道を登りはじめた。