2時間ひたすら沢を下ったが…
娘を迎えに行く時間にはとても間に合いそうになかったが、とにかく下山しなければと考えた。登ってくるときに、右側に沢が流れているのを見ていたので、それが左下に流れている沢だろうと見当をつけた。そうであれば、この沢を下っていけば、登山口に戻ることができる。
だが、いざ下りはじめてみると、そう簡単なことではなかった。
水に濡れることはいとわず、徒渉を繰り返した。ときには沢に倒れ掛かっている倒木の上を伝い、滝になっているところでは岸を巻いた。水深が深そうな箇所では石を投げ込んでみて深さを推測した。それでも首まで水に浸かったり、泳いで進んだりすることもあった。
「およそ2時間、ひたすら沢を下っていきました。それもできるだけ急いで下りました。もう、必死でした」
だが、やがてあたりが薄暗くなってきて、雨も降ってきた。このへんでいったん沢から上がろうと思い、沢を見下ろす岩の上に上がった。そこで落ち葉を集め、持っていたガスライターで火をつけようとしたが、濡れてしまったため、なかなか点火できず、ようやくついたと思ったら、落ち葉が湿っていて火をおこすことはできなかった。
諦めてあたりを見回してみると、ちょうど人ひとりが膝を抱えて横になれるくらいの岩屋が目に留まった。岩が屋根のように張り出しているので、多少の雨なら防げそうだった。
2メートルほど斜面を登ってそのスペースに体を入れてみると、居心地はそう悪くなかった。
もうすでに暗闇が迫ってきていたので、その日はそこで一夜を過ごすことにした。
雨具は持っていなかったが、ザックはザックカバーを備えたものだった。そのザックカバーを腰から足に巻いて、寒さをしのいだ。食料は昼に食べたものがほぼすべてで、残っているのは小さな三角パックの柿ピーが一袋だけ。夜にそれを食べたらやたらしょっぱく、「これは水が欲しくなるな」と思ってすぐにやめた。ふだん電子タバコを吸っているが、ザックまで水に浸かったので吸えなくなってしまった。
夜は自分の足元さえ見えないほどの真っ暗闇だった。ヘッドランプは持っておらず、再度、火をおこそうとしたが、湿った落ち葉では煙が目にしみるだけで、やはり火はつかなかった。
結局、ガスライターはそこに置いてきてしまった。
それでもこの時点では、深刻な事態になったという認識はなく、まだ気持ちに余裕があった。
スマホはずっと圏外だったが、もうちょっと下ればつながるだろうと思っていた。車を停めてあるところには自動販売機があったので、明日、下山したら、そこで飲み物を買おうとも思った。ただ、妻が心配しているであろうことを考えると目が冴えてしまい、一睡もできずに朝を迎えることになった。