山は恐ろしい。遭難救助にヘリコプターが活用されるようになり、位置情報検索システムが実用化された現代でも、まるで神隠しに遭ったかのように行方がわからなくなる遭難事故がときたま起こる。
ここでは、長期遭難を生き延びたサバイバーにフリーライターの羽根田治氏が話を聞いた『ドキュメント生還2 長期遭難からの脱出』(山と溪谷社)より一部を抜粋。九州・国見(くにみ)岳で起きた6日間に渡る長期遭難の事例を紹介する。
2022年8月10日、横田慎二(仮名・38歳)さんは国見岳に登頂した後、「自分はペースが遅いから」と同行者2人を置いて、1人で下山を開始した。ところが登山道を見失った上、崖から滑落。左耳と左足に怪我を負い、そのまま11日の朝を迎えることになってしまう――。(全3回の2回目/最初から読む)
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遭難2日目、妻に現在地のデータを送信
11日の朝、行動開始前の7時57分、LINEで妻に「たすけて、そうなんした国見岳の川沿いにいる」とメッセージを送り、コンパスアプリのスクリーンショットを添付した。それには現在地のデータ――北緯32度32分5秒、東経131度2分20秒、高度1050メートル――が記されていた。送信はできなかったが、妻には定期的に現在地のデータをLINEで送るつもりだった。
前日に登山を開始したときに、同行者が「新登山口の標高は1500メートルぐらいなんだよね」と言っていたのが耳に残っていた。ビバーク地点の標高が1050メートルだから下りすぎているので、1500メートルまで登り返そうと思った。しかし、新登山口の実際の標高は約1020メートルである。1500メートルというのは、同行者の勘違いか横田の聞き違いかと思われる。
登山の前に見ていた地図で、「登山口はたしか南の方角だったよな」と思い出し、太陽が昇ってきた位置から「こっちが南だろう」と定め、沢沿いの急斜面を登りはじめた。
横田が妻に送ったデータから推測すると、前日下ってきたのは上の小屋谷上流部で、夕方になってその枝沢の左谷(五勇谷)に入り込んでビバークし、この日は左谷を遡っていったものと思われる。だから実際に進んだのは、南西の方角だった。
道なき道に平坦な場所はいっさいなく、木の根を掴み、地面に這いつくばり、しゃがんだ体勢で藪を掻き分けながら、ひたすら登り続けた。迂闊だったのは、水筒に水を補給していなかったことだ。ペットボトルの水は前日に全部飲んでしまっていた。前の夜は雨が降っていたうえ、沢に首まで浸かって全身が濡れていたため、寒さが非常に厳しく、沢の水を補給しようという考えすら思い浮かばなかった。しかしこの日は天気がよく、やたらと喉が渇いたので、何度か沢まで下りて水筒に水を補給した。