「原稿から顔を上げて最初に頭をよぎったのは『これはすでに発表されている作品を持ち込んできたのではないか』という疑念でした。それほど、完成度が高すぎたのです」
当時29歳の編集者が驚いた、心を揺さぶる小説の持ち込み原稿。「これはすでに発表されている作品を持ち込んできたのではないか」と疑ってしまうほどの小説を送ってきた人物とは……? 講談社の人気小説を数多く手掛けた編集者の唐木厚氏による初の著書『小説編集者の仕事とはなにか?』(星海社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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編集者人生を変える、運命の電話
忘れもしない1994年、僕が29歳のゴールデンウィークのことです。連休の狭間の平日、社内にもさほど人がいない中、暦どおりに出社していると、編集部に電話がかかってきました。
相手の問いは「いまでも出版界には持ち込みという制度は残っているんでしょうか?」というもの。YESかNOで答えられる、簡潔な質問でした。多くの小説編集部では、小説の直接投稿、つまり持ち込みを受け付けてはいません。ただし例外もあるにはあります。そこから、こんな会話が続きました。
「持ち込みという制度が残っていないわけではありませんが、新人賞に応募していただくのが普通ですよ。新人賞に応募しないのはなぜですか?」
「当初は新人賞に応募しようと思っていたのですが、原稿用紙1000枚の小説を書いてしまい、どの賞の応募規定も超えてしまうのです。800枚まで削ってみたものの、これ以上削ると作品としてもはや意味のないものになってしまうので、その段階で諦めてお電話してみました」
新人賞に応募できないから、持ち込みについて尋ねている。非常に筋の通った話です。
「そうですか。では、何か面白いトリックでも思いついたのですか」
「うーん、トリックですか。トリックはあるような、ないような」
「ではどんな作品なのでしょう?」
「民俗学を題材にしたミステリです」
僕は民俗学には割と興味がありました。
「それじゃあ送ってみてください。ただし、こういう形なので、2、3ヶ月、場合によっては半年くらいお待たせすることになると思います」
そんなふうに話して自分の名前と編集部の宛先を告げ、電話を切りました。ここでお返事に長時間かかると言ったのは、もちろん意地悪をしたかったわけではありません。マンガの持ち込みの場合は、その場で作品を評価することができますが、小説だと長編作品を読み終わるまでには最低でも数時間かかります。通常の仕事の合間にその時間を確保するのはなかなか難しいので、そういう答え方にならざるを得なかったのです。