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 それから、出版部長の小田島さんに「こういう原稿が届きました、傑作です。ぜひ出版させてください」とお願いして許可をもらい、京極さんに初めて会いに行きました。

小説家の京極夏彦さん ©文藝春秋

 よく「京極さんと初めて会ったときの印象はどうでしたか?」と聞かれるのですが、不思議なほど特別な印象はないのです。喫茶店で初めて京極さんと対面したときには「ああ、やっぱりこの人があの小説を書いたんだなあ」と、とにかく腑に落ちるような思いでした。打ち合わせを始めると、さらにその思いは強まりました。ただ、のちに京極さんが講談社の販売部に来られたことがあるのですが、「入口のところに死神のように怖そうな人が立っているぞ」「あの人は何者だ」と大騒ぎになったそうです。そういう話を聞くと「あれ、僕の感想のほうがずれていたのかな」ともちょっと思いました。

「この人の次の作品も絶対に出したい」

 お会いしてから思ったのは、「この人の次の作品も絶対に出したい」ということ。『姑獲鳥の夏』はノベルスとしては圧倒的に長い作品でしたから、まだその時点では売れるかどうかはわかりませんでした。そのことは京極さんにも正直に言って「でも僕は大好きなので、ぜひ次の作品も出したいと思っています」とお伝えしたのを覚えています。僕は純粋に、彼が書く次の作品を読みたかったのです。

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 ちなみに次の作品については、「『姑獲鳥の夏』に近い感じのものはつくれますか?」という依頼をしました。「近い感じ」といっても、『姑獲鳥の夏』に始まるシリーズの続きを書いてください、という依頼ではありません。民俗学がモチーフの本格ミステリというくらいの意味でした。シリーズが長く続いていることをご存じの読者にとっては、ちょっと信じられないかもしれませんが、その時点で僕は『姑獲鳥の夏』に続きがありうるとはまったく思っていなかったのです。

 作中に登場する人物たちは、あくまでこの作品の仕掛けや構造のために用意されており、完璧な形で完結しているので、もう一度登場させることは不可能だと思い込んでいました。ですから、次の作品として『魍魎の匣』が手渡されたときは、まさに「目から鱗が落ちる」ような衝撃でした。

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