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 しかし、その後、野球歴史研究家などの調査で、1845年にすでに「ニッカーボッカー・ルール」で行われ、公式記録が残された試合が2試合存在することや、統一ルールは「ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ」の創設メンバーで副会長を務めていたウィリアム・ウィートンと事務局長のウィリアム・タッカーが主導して作成され、書店を営んでいたカートライトは、2人が考案したルールを印刷したに過ぎないなどの考察も存在する。

ワーズワースの功績

 2011年以来、MLB公式歴史家を務めている76歳のジョン・ソーン氏は、2013年7月15日に発売された『ベースボール・ファウンダース』という書籍の中でインタビューに答え、「ウィートン、タッカー、そして、ドク・アダムス、ルイス・ワーズワースの4人も現代野球の父であり、カートライト同様に殿堂入りに値する」と答えている。

 ここで登場したドク・アダムスは、ニッカーボッカーの選手兼球団幹部を務めた医師。当時、内野手はベース付近を守る3人体制だったが、外野からの返球を効率的に処理するために遊撃手のポジションを生み出した人物である。そして、品質の高いボールほど打っても投げても遠くに運ぶことができることを発見したアダムスは、ボール製造会社を起業して、ニューヨーク州内のチームにボールを販売していた。

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 ルイス・ワーズワースは、当時最高の一塁手と称される名選手。ジョン・ソーン氏は「他チームからニッカーボッカーに高額な給料を約束されて移籍してきた。その観点から彼が史上初めてのプロ野球選手と呼べるだろう」と語っている。そして、ワーズワースのもう1つの功績は、古き良き時代から変わることのないボールパークのレイアウトを考案したことといわれている。

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