文春オンライン

日本人が熱狂する「野球」はこうして生まれた…大谷翔平が活躍するアメリカで「ベースボール」が誕生した“知られざる経緯”

『大谷翔平とホームラン』より #1

2024/05/30
note

 この時に制定された条まであるルールをいくつか紹介すると、

「ベースは4つ、二塁と本塁間、一塁と三塁間は共に42ペース(約38.4メートル)」

「3つのアウトで攻守交代」

ADVERTISEMENT

「上手投げの禁止」

「一塁線、三塁線の外側に飛んだ打球はファールとする」

「走者がボールに触れたらアウト。しかし、野手が走者にボールをぶつけることは禁止」

 など、現在のルールブックに大きな影響を残していることが窺(うかが)える。一方で、

「21点先取したチームが勝利」

「ファールはストライクにならない」

「ワンバウンド捕球はアウト」

「ボールはカウントされない」

 など、現在のルールブックからは消えたものも存在する。

写真はイメージです ©アフロ

カートライトがアメリカの野球殿堂入りを果たす

 1846年6月19日、ニュージャージー州ホーボーケンにあるエリシアンフィールドで行われた、ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ対ニューヨーク・ナイン戦が初めて「ニッカーボッカー・ルール」で行われ、公式に記録された最初の野球の試合とされている。この試合では、カートライトが主審を務め、23対1でナインが勝利した記録が残されている。

 現在も受け継がれるルールブックの原案、原点を作り上げたカートライトは、その功績を讃(たた)えられ「現代野球の父」として1938年にアメリカの野球殿堂入りを果たした。

関連記事