大きな放物線を描いてスタンドに突き刺さる大谷翔平のホームランは、世界中の野球ファンを驚かせ、魅了している。初期の時代には、あのベーブ・ルースが放つホームランも大谷と同様に野球ファンを熱狂させ続けた。
過去も現在も野球の「華」と称されるホームランだが、そもそも「ホームラン」とは、いつ、どこで誕生したのか。ここでは、AKI猪瀬氏の著書『大谷翔平とホームラン』(KADOKAWA)より一部を抜粋。起源に関しては諸説あるため、アメリカ国内で有力視されている説をもとに野球とホームランの歴史を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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野球のルールはどのように作られた?
まず、1800年代にアイルランドやイギリスで行われていた「ラウンダーズ」や「ストールボール」などと称されていたゲームが、ベースボールの原型と言われている。靴下などに小石を詰めた物を下手投げで投じて、ボートのオールのような木で打ち返し、目印として4ケ所に設置された石や杭などを目指して走る。このようなゲームがヨーロッパからの移民の手によって1800年代中期頃には北米大陸に伝えられ、名称も「タウンボール」に変化していった。
当時は統一されたルールは存在しておらず、地域によってバラバラの状態だった。この頃、「現代野球の父」と称されるアレクサンダー・ジョイ・カートライトが、1820年4月17日にニューヨークで誕生。銀行の事務員を経て、ウォール街で本屋を営んでいたカートライトは、ボランティアでマンハッタン地区の消防団に所属していた。
現在のルールブックからは消えたものも存在
団員達の運動不足解消のために「タウンボール」を楽しむ同好会を1845年9月23日に設立したカートライトは、「ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ」と命名。この当時も「タウンボール」に統一したルールはなく、試合ごとにルールを決める必要があったが、カートライトが統一ルールを定めることを提案して文書化。この時に制定されたルールは通称「ニッカーボッカー・ルール」と呼ばれ、ルールが統一されていく大きな転機となった。