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「これはすごい…」藤井聡太が“初のカド番”に追い込まれたとき、中継に映らない控室では何が起きていたのか

「これはすごい…」藤井聡太が“初のカド番”に追い込まれたとき、中継に映らない控室では何が起きていたのか

プロが読み解く第9期叡王戦五番勝負 #3-2

2024/05/26
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 島と私が同時に「これはすごいものを見た」と言い、思わず笑う。いや、笑っている場合ではない。逆転して伊藤が勝勢になっているのだから! とはいえ藤井は諦めない。先手玉まわりの駒を剥がし続ける伊藤の厳しい攻めの間隙をぬって、藤井も桂打ち桂打ち銀打ちと、持ち駒を連打して6手連続王手をかけた。攻めの中心となっていた馬を自陣まで引かせて自玉の詰めろを外す。

 糸谷が「どっちもなかなか倒れないなあ。決定的な一撃を与えないですもんねえ」と感嘆しているような、呆れているような口調でつぶやけば、島も「藤井さんも伊藤さんもしぶといですね。2人の対戦はいつも熱戦になります」と言ってうなずく。

藤井聡太叡王

ドラマティックな筋書きで戦いを制す

 伊藤の玉は中段に収まった。絶対安全というわけではないが、ラストスパートが始まる。伊藤が追い、藤井が逃げる。中盤では7九にいた藤井玉が3七まで遁走し、2四にいる伊藤玉と接近してきた。距離を詰めての接近戦。

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 藤井は「一手でも間違えたら負けますよ」という難問を出し続ける。しかし、伊藤は落ち着いていた。冷静な手つきで銀を捨てて玉を引きずり出し、上から銀をかぶせて、自玉を安全にする。さらには、取られそうだった桂を跳ね出した。

 なんということだ。桂を跳ねた局面をよく見ると、「ぬるかった」と伊藤が反省したはずの、4六歩と6七歩が寄せに役立ち、さらには合駒請求で打たされた4一の香まで働くとは!

 なんてドラマティックな筋書きなんだ。

 仕上げは自玉への王手を防ぎつつ詰めろをかけた攻防の桂打ち。4七桂、2五桂に1五桂と、藤井玉を3枚の桂で包囲する。藤井のお株を奪うかのような桂使いだ。

 島が「伊藤さん、最後まで走り切りましたね」と感極まった表情で語った。今日は2人で何度「いいものを見た」と言っただろうか。

 

「まぁ本譜で▲6九玉(と寄られて)も」

 漫画『3月のライオン』第5巻(羽海野チカ・白泉社)にこんな一場面がある。

 宗谷名人と隈倉九段の名人戦が行われている中継を横目で眺めながら、日本将棋連盟会長の神宮寺がこう言う。

「そりゃ宗谷も隈倉にあたるのは嬉しかろーよ そしてそれは隈倉にしたって同じ事 あいつら お互いにお互いが相手の事を 力いっぱいブン回しても壊れないおもちゃだと思ってるからな」と。

 ついリアルうちの職場の羽生善治会長が笑いながら言うところを想像してしまう。

「藤井さんも伊藤さんにあたるのは嬉しいでしょう。それは伊藤さんにしたって同じ事。彼ら、お互いにお互いが相手の事を、力いっぱい振り回しても壊れないおもちゃだと思ってるんですから。ハハハハハ」

 終局直後のインタビューでは、伊藤は歩の垂らしを後悔し、藤井は△7六銀をうっかりしたと述べた。