「キング」の用具置き場──武器補給基地からは、新たに2台の車が第1襲撃隊の5台の車に続いた。富士会幹部の松本勝美(のちに山口組直参)を指揮官とする別動隊であった。
さらに、それらの車を追うようにして、フルスピードで有楽荘アパートに向かう車があった。
この車に乗っていたのが、若き24歳の黒澤明を指揮官とする小川哲人ら柳川組幹部や組員6人であった。山口組襲撃隊の車は次々に現場に到着した。
有楽荘は木造2階建ての古ぼけたアパートだった。明友会幹部がアジトにしているのは、2階左端の13号室であった。三代目山口組組長田岡一雄は、この場面を、自伝(徳間書店)でこう活写している──。
《松本勝美らの車が現場に到着し、一足遅れて黒澤明らの車もやってきた。黒澤は先着の松本らに怒気を浴びせた。
「どないした、踏み込まんのか」
松本らがためらっているのが苛立たしかったのだ。黒澤は、単独でも有楽荘の階段を駆けあがろうとしている。
「待て」
「なんでとめるんや」
「やつらは相当の準備をしているらしい」
「よし、やろう」行動は開始された。
細心な松本は、はやる黒澤を押しとどめた。松本には松本なりの読みがあったのだ。明友会側が加茂田組の前川、長谷川、松本の3人を捕虜にしてこの有楽荘から釈放したとき、「加茂田に伝えておけ。こっちは猟銃で迎えるから、いつでもこいとな」と捨てゼリフを吐いている。
彼らは当然、加茂田組の襲撃を予期して迎撃態勢をとっているにちがいない。松本はその対応策を模索していたのだ。
「そのときはそのときのことや。とにかく踏み込んでみんことにはわからんやろう」
黒澤はいきりたっている。一刻の逡巡も許さない、火のような黒澤の気性だった。松本は口をつぐんだが、じぶんでじぶんの胸に決断をくだすようにいい放った。
「──よし、やろう」
行動は開始された。松本勝美をはじめ山下義人、福成信昭、小川哲人、青木勝治、石崎秀雄の六人が有楽荘へ侵入し、残りは水も漏らさず有楽荘を包囲した》
のちに直参の盃をおろすことになる若き黒澤の血気盛んな性分を、田岡一雄は余すところなく描写している。黒澤の渡世上の出発点は、「殺しの軍団」と恐れられた柳川組で、柳川次郎を「兄貴」と呼んでいたのが黒澤だった。
この明友会事件当時は、山口組の総司令官・地道行雄率いる地道組の若頭をつとめる佐々木道雄の舎弟、つまり地道組内佐々木組舎弟の立場で彼は参戦していた。その黒澤の、
「とにかく踏み込んでみんことにはわからん」
との声に促され、松本勝美は突入を決意、6人の斬り込み隊が有楽荘の階段を駆けあがった。彼らは13号室の鍵穴に向けて銃弾をぶち込み、ドアを蹴破って一挙に部屋のなかになだれ込んだ。それぞれが拳銃や日本刀を手にしていた。