八咫烏と言っても普通の人にはイメージも湧かないだろう。山本殖生『熊野八咫烏』(原書房)という世界各国の八咫烏に相当する架空の生き物を研究した本によると、古代の中国から瑞鳥とされた三本足の大烏のことを指す。太陽の中にあり、天界思想や人類創生にもかかわり、その霊性は宇宙の秩序付けや神仙思想にもつながる深遠な存在だそうだ。日本では神武天皇東征の折、熊野の険しい山の中、先導したのが八咫烏であったと日本書紀に記されているという。そのことから熊野の神使は八咫烏になったそうだ。
身近なものでは日本サッカー協会のマークが八咫烏をデザインしたものだ。神武天皇の故事にならい、ここから光が輝いて四方八方を照らし、ボールを押えている姿は、サッカーを統制・指導し、ただしく発達させ、栄光を世界に輝かせることを意味している。
閑話休題。
この物語の発端は、宗家の若宮の后選びが本決まりになったことだった。有力貴族である東家、西家、南家、北家から姫が一人ずつ選出され宮廷の桜花宮へ登殿の運びとなった。后に選ばれ、次の若宮を産めばお家は安泰、姫自身も赤烏と呼ばれる皇后となってこの国に君臨することができる。そのため、各家では幼いころからお妃教育を施した選りすぐりの姫を立て、優れた女房を付けて桜花宮へ送り込むのだ。
語り手である東家の二の姫は、疱瘡を患ってしまった姉、双葉の代わりに急きょ登殿が決まった。子供のころから病弱で人と交わったことのない二の姫は、幼く常識知らずで、人の雰囲気を読めないため、他の姫たちから笑われるばかり。仮名がないのをいいことに、今上陛下の妻、大紫の御前から「あせび」という麗しくない名前をくだされるが、それすらありがたいと言う始末である。
物語は、選ばれた姫たちの性格の違いによる諍いや恋のさや当て、各家の勢力争いを絢爛豪華に描いていく。ファンタジーとはいえ、人に似せ人の暮らしを模した世界では、現代でもあるような、権謀術数渦巻く陰謀が張り巡らされているが、そこは女だけの宮廷。艶やかで優しい雰囲気の物語が続く。
しかし中盤から、それが突如として変わり始める。一つの失踪事件と死が、まるで晴天の空が俄かに掻き曇るように、あれよあれよという間に世界が逆転する。読み始めの甘い味がいつか金臭いものとなり、読後にはほろ苦さが残っている。必ず冒頭に戻って読み返したくなるだろう。