かつて京都の伏見桃山にある串カツ屋でバイトしていた、お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さん。彼女がそこで出会った、あまりにもキャラが濃く、キレやすい女将さんとの思い出とは? エッセイ「うちの店、潰す気かぁ!!!」(初出:2019年10月13日)を、文庫『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。
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「うちの店、潰す気かぁ!!!」
城下町という言葉に惹かれて、初めての一人暮らしは伏見桃山に決めた。駅を降りてすぐ東を向くと、赤い大鳥居が厳然として立っており、それを抜けると御香宮神社への参道が、ゆるい坂道になって続いている。さらに上ると、伏見城である。駅の西側には、踏切を超えた先に明るいアーケードに覆われた大手筋商店街が見え、南北に走る近鉄電車の高架下には、立ち飲み居酒屋やおでん屋が賑やかに軒を連ねていた。町並みには歴史が感じられ、18歳の私は目に入る景色全てが気に入った。これから始まる新生活が、楽しみで仕方なかった。
「うちの店、潰す気かぁ!!!」
という女将さんの怒鳴り声が、狭い店内に響き渡った。あまりの大声にカウンターで静かに吞んでいた常連のおじさんも、肩をピクッと動かし、手に持っていたタマネギ串をそっとお皿に置いた。
高架下の串カツ屋でバイトをし始めて2カ月ほどが経っていた。面接の際に女将さんから「厳しくすることもあるけど、頑張ってや~」と言われたときから、うすうすヤバそうだとは感じていた。厳しくすることもある、と事前に申告してくる人の「そもそもベースが厳しい率」は100%である。
「じゃあ結構です」ということもできず、おそるおそる働き始めたものの、せっかくの新生活が憂鬱な日々になる予感をひしひしと感じていた。
店内のBGMにはいつも、女将さんの好きなビートルズの「イエローサブマリン」がかかっていた。「もしかして潜水艦ってのが、高架に潜ってる店、みたいなことで関係あったりするんすか~?」なんていう軽口は、あのつり上がった眉を見て言える人は誰もいなかった。3年前からこの店で働いているという21歳のヤスさんは毎日のように怒鳴り飛ばされていたが、女将さんのキレ方は前兆なく最初からトップギアでくるのが特徴で、ヤスさんはそのときいつも一瞬キョトンとした顔をして、そこから慌てて反省の顔を作るのだった。それを見て、次に私がキレられるときは、キョトンはなるべく省こうと思った。
その日23時すぎに来た3人連れのサラリーマンはすでに顔が赤く、どうやら2軒目のようだった。入ってくるなりカウンターごしに、「酔い冷ましに、うどん3つちょうだい」と注文した。私は「おおきに~!」と元気に応え、ヤスさんに「うどん3つお願いします~!」と伝えた。
10分ほどしてまもなくうどんが出来上がるというとき、3人は「ごめん姉ちゃん、やっぱり終電やから帰らなあかんわ」と言って立ち上がり、「せっかく作ってくれたのに悪いな」と謝って、うどん3杯分の1200円をカウンターに置いて店を出て行った。私とヤスさんは顔を見合わせ、まあ終電ならしょうがないかと、今日のまかないはうどんかな、と考えた矢先、裏で作業していた女将が戻ってきた。中途半端に出来上がったうどんとテーブルに置かれた1200円を見て「これなんや?」と聞いた。
「あ、うどん出そ思たら、終電やから言うてお金置いて帰らはりました」と私が説明し終わらないうちに、「ええかげんにせぇ!!!」と雷は落ちた。
私はあれだけイメージトレーニングしていたのに、はっきりとキョトンから入ってしまった。女将さんは、驚くべき剣幕で「出してもない料理の代金とる店やて噂立ったらどうしてくれる? え? うちの店、潰す気かぁ!!!」とまくしたてた。