「本やったらなんぼでも買ったる」は全然嬉しい言葉ではなかった。何度言われても、「そらまあ、安いからな」と思っていた。ゲームはあかん、服もあかん。欲しかったら自分で買え。でも本やったらかまへん。親父はよくそう言った。いやそらまあ、値段が違うからな。そもそも本なら家にいっぱいあるし、流行りのハリー・ポッターも学校の図書室で借りられる。親父は、私に読みたい本が読めないというフラストレーションがないのを分かった上で、貧乏なりに気前の良さを演出していると受け取っていた。騙されへんぞ、と謎の反抗心で突っぱね、思春期は一冊もねだらなかった。
けれど今になって気づく。親父が与えようとしたものは本だけではなく、十代における選択能力でもあったことだ。家に多くの本が並んでいる理由、それは当然、親父が自ら選択し購入したからだった。星新一であれナンシー関であれ、私が手にとって読んだところで、それは全て口移しに過ぎない。だが結局その口移し読書が、私の夢のほとんどを形成した。自分で本を買いだした頃にはもう、欲望の根幹は出来上がってしまっていた。
和田誠がそっと開けてくれた大人への扉
18歳で家を出た。引越しの日が近づくと、生活必需品の準備もそこそこに、持っていくアイテムの選定に没頭した。自分の部屋を与えられなかった私が、自ら初めて築くことができる空間。そこに存在させるのは、私を私たらしめるものでありたい。しかし高校時代に買った本や漫画のラインナップをみても、一過性の興味だったものが並んでいるだけで頼りなかった。そこで私が目をつけたのが「お楽しみはこれからだ」だった。
「お楽しみはこれからだ」(全7巻)は映画の名セリフと解説が書かれた本で、トーキー映画の最初のセリフ「You ain't heard nothin' yet!(あなたがたはまだ何も聞いていない)」の意訳でもある。表紙には著者である和田誠のイラストで「サンセット大通り」の女優グロリア・スワンソンや、「市民ケーン」のオースン・ウェルズが描かれていた。小学生の頃、棚に並ぶ古ぼけた本は未知ゆえに恐ろしさすら感じていたが、和田誠のやさしいタッチだけは「一度めくってごらん」と囁きかけてくれた。誘われるようにページを開き、そこに書かれた映画の粋なセリフに酔いしれた。恋慕の表現を知り、人生の嘆き方を知った。大人への扉は和田誠がそっと開けてくれた。引越しの前日、親父の目を盗んでダンボールに「お楽しみはこれからだ」を詰めた。タイトルもこれ以上ないほど門出にふさわしかった。