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 急いで反省の顔にシフトしようと考えたとき、遮るように「今すぐ走って金返してこんかぁ!!」と言われたので、「はぃい!!」と言って私は1200円を掴んで店を飛び出した。

動き出した女将さんの潜水艦

 改札の前に着いたのは、終電が出たすぐ後だった。おそらくは3人のサラリーマンを乗せている電車が、むなしく頭上を過ぎていった。肩を落として、どうやって謝ろうかと思いながら元来た高架沿いの道をトボトボと戻っていくと、目の前の異変に気がついた。ゴゴゴゴと音を立てて、店全体がゆっくりと後ろへ下がっている。まずい。怒りを動力として、女将さんの潜水艦が動き出してしまった。

Aマッソの加納愛子さん ©文藝春秋

 私は焦って、店が高架下からすっぽりと抜け出てしまうギリギリに、店内に駆け込んだ。

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 道路に飛び出した船は、西に向かって進んでいった。私は「すいません艦長、私の足が遅くてお客さんにお金返せませんでした」と言ったが、「謝る理由がちゃうやろドアホ!!」とキレられ、船はさらにスピードを増した。そのまま南に進路を変え、古い町家が並ぶ通りに出た。由緒ある大きな酒蔵の前を過ぎ、かの有名な寺田屋の前を過ぎたところで、ここが城下町であることを思い出した。船が水路を目指していると気づいた頃には、前方に宇治川が見えた。かつて京阪をつなぐ水運の拠点として栄えた、伏見港であった。

 宇治川の流れに任せしばらく南下したあたりで、女将さんはタバコをふかして潜れる水深かどうかを確かめはじめた。そこで船の速度が緩んだのを見て、私はもう一度、今度は味付けなしのプレーンな「すいません」を試してみた。が、そんなものは通用するはずもなく、「何がや?」とすぐにカウンターを食らい、窮した私は「……全部です!」と言うと、最高潮にブチ切れた女将さんが「お前もこないしたろかゴラァ!!」と、フライヤーの中に食材を思い切り投げ入れた。

 私はキョトンなしで、これ以上ないくらいの反省の顔をキメたが時すでに遅く、「本場のあほんだらに、うちの串カツの味わからせたらあ!」という女将さんの勢いそのままに、船は猛スピードで淀川を走り抜け、やがて大阪港に突っ込んでいった。

「店の評判落としてすいませんやろが!」という解答を聞きながら、評判と物流、当時どっちのほうが早かったんだろうかと、沈みゆく船の中で、それだけを考えていた。