したがって、日本社会の性規範が江戸時代以前のそれに戻っていくのであれば、公共の場所であろうとも露骨な性描写の掲示が受け入れられる可能性は高くなるはずです。しかし、現時点において性表現を不安や不快に思う感性をもつ人びとが多く存在するのであれば、公道や駅での掲示にはそれなりの配慮が求められることになるでしょう。
「表現の自由」問題がこじれる理由
他方、美術館内部のような場所の場合には、空間的に閉ざされているがゆえに開かれた表現の場として機能すべきであり、3の意味での公共性がより重視されるべきだと考えられます。ただし、訪問者が作品を撮影することを許可している美術館も多く、その写真がソーシャルメディアで流通することで、作品が置かれた文脈が変わってしまう可能性にも注意が必要でしょう。
また、オフィスのような場所では、そこで働く人にとっての心理的安全がより重要になるはずです。たとえば、会社の経営者が、特定の民族を攻撃する文書を社内で配布するというのは、その民族をルーツとする従業員にとっては耐えがたい苦痛をもたらしますし、「表現の自由」としては認められないでしょう。
感性と言うと、要するに「お気持ち」なのだから無視して構わないと考える人もいるかもしれません。けれども、人間の社会生活が「お気持ち」を無視して成り立つとは到底考えられません。そうした感性は時代や文化によっても異なり、個人間での違いも大きいため、ここまでは大丈夫で、ここから先はアウトだという固定的な境界線を引くのは不可能です。言い換えるとそれは、法律論だけでは解決できない問題なのです。そのことが、終わることのない論争を生じさせる要因にもなっていると考えられます。
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