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「暴力は人の生き方そのものを支配することはできない」…ジャーナリストが“学生リンチ殺人事件”から50年考えた結論と、内ゲバの“パンドラの箱”を開けた映画『ゲバルトの杜』

「暴力は人の生き方そのものを支配することはできない」…ジャーナリストが“学生リンチ殺人事件”から50年考えた結論と、内ゲバの“パンドラの箱”を開けた映画『ゲバルトの杜』

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 教育, 歴史, 映画

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「暴力によって、人の頭の構造や生き方そのものを支配することは、決してできません」。壇上に立ったジャーナリスト・樋田毅氏はそう強調した。

 さる5月26日(日)、東京・渋谷のユーロスペースにて、映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』舞台挨拶+公開対談が行なわれた。登壇者は本作の監督である代島治彦氏と、映画の原案となった書籍『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文春文庫、第53回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)の著者の樋田氏の2人だ。

書籍と映画ができた経緯を語るジャーナリストの樋田毅氏

 映画は、1972年11月8日、早稲田大学第一文学部の学生・川口大三郎君が、当時の同学部自治会を支配していた革マル派の学生らに“中核派のスパイ”だと誤認され、8時間にもおよぶリンチの末に殺された「川口大三郎君事件」と、事件に怒った一般学生の蜂起、そしてその後100人以上の犠牲者を出した新左翼セクト間の内ゲバの激化を描いている。リンチ事件のシーンは演出家・鴻上尚史氏による劇中劇となっており、ミクスチャー・ドキュメンタリーの手法を取っている。

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 一方の樋田氏は、この事件を受けて抗議に立ち上がった一般学生が組織する、第一文学部新自治会の臨時執行部委員長に就任した当事者だ。しかし一般学生の間で対革マル派の武装闘争の是非をめぐって運動が分裂、樋田氏は非武装を主張し続けたが、事件の翌年、突然反攻に転じた革マル派に襲われて重傷を負い、約半年後、運動から離脱した。

 その後新聞記者となった樋田氏は退職後、悔恨と鎮魂の意味を込めて『彼は早稲田で死んだ』を著した。樋田氏は著書の中で「ユマニスム」という考えに触れ、「不寛容に対して私たちはどう寛容で闘い得るのか」という命題を半世紀もの間、ずっと考え続けてきたと告白している。冒頭の言葉は、代島監督に「ウクライナ戦争やガザ紛争が現実にあるこの世界で、樋田さんは今でも非暴力という信念を貫きますか」と問われたことへの回答だ。樋田氏は「文庫版のためのあとがき」に記した、運動に関わった15人のその後の人生に触れながら、「我々は暴力のない道で自由を求めて生きて行くことが正解だと思う」と述べた。