次に現れたのは「性依存」だが、三森さんの場合特殊だった。“エロ漫画を描き続けてしまう”という性依存なのだ。
「9歳くらいの頃から解離性障害と言いますか、父に説教される度に意識を切り離して自尊心を守る術を覚え、それがあまりにもクセになりすぎた結果、慢性的に“自分が今ここに生きている”という感覚が欠如してしまいました。そういった感覚を元に戻すには、強烈な刺激というものが必要だったんですね」
三森さんは強烈な刺激を得るために、大学の単位を落としても、朝までエロ漫画を描くことに没頭。それは中学・高校時代のゲーム依存と同じ状況だった。
同時多発的に現れたもうひとつの症状が、「塩分依存」だった。一人暮らしを始めてからというもの、三森さんは毎晩、お椀一杯あたり、大さじ10杯くらいの味噌を入れ、さらに一味唐辛子などのスパイスを大量に加えたドロドロの味噌汁を飲み続けていたのだ。
「舌がビリビリするのを感じて、『あー! 私、今ここに生きてる!』とか言っていました」
大学入学から半年ほど経った頃、三森さんは鏡に映った自分の肌が黄色いことに気付く。足がむくんでゾウのようになり、指で押すとへこんだままなかなか元に戻らない。面白がって大学の友だちに見せると、「病院行きなよ!」と心配され、言われるまま受診。すると、「腎不全、ネフローゼです。あと数ヶ月遅れてたらキミ、一生人工透析だったよ」と医師に呆れられた。
まだ19歳だった三森さんは、「親の同意がないと入院も手術もできない。親を呼びますか? 親元に戻りますか?」と選択を迫られる。結局、すぐに大阪に戻り、緊急入院することになった。
対人依存
腎臓を治す薬の副作用を予防するために、睡眠薬が処方されると、中学生の頃から患っていた不眠症が治った。約1ヶ月半で退院すると、三森さんは沖縄に戻った。
「久々に『眠れるっていうのはこういう感覚だったんだ』って思いました。眠れるようになると、これまであったストレスがかなり軽減されていきました」
ところが、平穏な時間は長くは続かなかった。
「親元からは離れているし、依存行為もおさまって、環境には何の問題もないのです。でもどういうわけだか感情がコントロールできない。自罰癖がやめられない。自分自身を認められない。そうやってゆっくりゆっくり勝手にストレスを溜めていくというのが私の日常で、そこで始まったのが対人依存です」
大学入学後に始めた飲食店のアルバイト先で、お客さんとして来ていた男性と交際を開始。