女友だちを前にしたかのように喜々として話す母親の姿を目にした三森さんは、肉体的にボロボロのところを、精神的にもトドメを刺される形で帰宅する。
「いかに酷い親であったとしても、子どもは親のことを本当の意味で嫌うことはできないですし、自分の遺伝子提供者の悪口って聞きたくないんですよ。だってどんなに自分が『ああなりたくない』と思っていても、遺伝子で似るということになっているわけですから、やっぱり傷つきます。しかもそれをもう一方の親からされてしまい、結構なダメージを食らいました」
このときに三森さんはあることを悟ると同時に、母親とは距離を置くようになった。それは、「人に頼っても無駄なんだ」ということだった。
「親は役に立たない」と見限った
「ゲーム依存って10代の子どもがなると、やめさせようと干渉し始める親が多いと思うのですが、私の場合は両親とも別居や離婚、弟の問題でそれどころではありませんでした。そもそも親は、私が依存するほどゲームをやっていたということさえも気付いていなかっただろうなと思います。それで自分が目を背けてきたことが全部自分に跳ね返ってくることになったため、私は『ああそうか。自分の問題は自分で解決をしないといけないんだ』と悟ったんですね」
このとき三森さんは、「親は役に立たない・信頼できない」と見限り、「家を出よう」と決意。
「風俗でも何でもいい。自分の力でお金を稼いで自立さえすれば、もう誰にも私の人生に文句など言わせない。その代わり、18までの人生は親に捧げてやる。その後の人生は私は好きに生きてやるからな!」
そう心に誓った三森さんは、高校卒業後に家を出るために、好きだった絵に打ち込むことでゲーム依存から回復。
「社会を広げたいから」と言って沖縄の大学を希望すると、父親は受験を許してくれた。
「その時は将来の夢とか進路とか全然考えられなくて、『とにかくこの状況から逃げないと私は頭がおかしくなる!』ということだけ考えていました。沖縄だったら父も追いかけては来ないだろうなと思ったんです」
三森さんは沖縄の大学に合格。一人暮らしを始めた。
依存の果ての緊急入院
念願叶って親元を離れることができ、三森さんが大学生活を楽しめたのかと言えば、全くそうではなかった。
なんでもないときに突然、これまで父親から受けてきた理不尽な仕打ちの数々がフラッシュバックするようになり、毎日のように自殺を考えるようになっていたのだ。
そんな中、まず陥ったのが「買い物依存」だった。絵を描くことが好きな三森さんは、生活費のすべてを画材に注ぎ込んだ。足りなくなると父方の祖父に連絡してお金を借り、満たされない心を埋めるかのように画材を買い込んだ。幸い、当時はクレジットカードは持っておらず、金融機関や友人知人から借金することはなかった。