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 両親が離婚した後も、何かと母親を援助してくれて、ぼくが高校に進学する時の入学金もよしあき叔父ちゃんが出してくれました。もちろん、お祝い事があれば、その都度、「おめでとう、ダイスケ」という言葉と一緒に、立派な封筒に入ったお祝いもくれた。

叔父さんと最後にあった日

 最後に会ったのは、ぼくが26~27歳のとき。母親が体調を崩して入院していた病院でした。ぼくの最初のかみさんだったジェニファーと一緒にエレベーターに乗り込んだら、キレイな中国人女性と叔父さんが乗っていました。約10年ぶりの再会でしたが、なんかもう、年相応の叔父さんになっていて、昔のようなギラついたオーラはない。ぼくの方も、ガキの頃から比べると、変わってますからね。なんか、そういうことが照れくさくなって、まともに顔も見れずに、「元気?」「うん」「なにやってんの?」「漫画家だよ」「そっちの人は?」「かみさん」「身体、大事にしろよ」なんて他人行儀な言葉しか交わせない。

 でも、叔父さんは律儀な優しい人ですから。「結婚おめでとう」と言って、財布から数万円を出して渡してくれました。嬉しかったけど、あんなに軽い会話が最後になってしまいました。結局、それから数年後、よしあき叔父ちゃんはがんで他界してしまったので。

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 そんなふうに、やたらと個性的な人たちが、うちの家族を取り囲んでたんですよ。でも、いちばんトリッキーだったのは、言うまでもなく、うちの親父でしたけど(笑)。