「M君は後年、『あれはもう、ばあさんが止めに入るのが遅かったら死んでたよ』って笑っていましたね」
ヤクザの父親のもとに生まれた子どもの苦労とは…? ちばてつや賞2回受賞!累計年収2億円超え! なのに落ちぶれ月収14万円になった漫画家の近藤令氏の新刊『底辺漫画家 超ヤバ実話』(青志社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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優しかったおじさんの職業はヤクザ
もうひとり、うちの家族と仲が良かったのが、母の弟のよしあき叔父ちゃんです。顔は長渕剛に似てたかなぁ。小指が無いので、ぼくが「どうして指がないの?」と聞くと、ニヤッと笑って、逆手の小指を使い「ほら手品」って指をくっつけたり離したりしていました。ひょうきんなところがとってもキュートでした。
指の本数が少なかったので、「バルタン星人」と近所の子どもから呼ばれていましたね。でも、天衣無縫な人だったので、そんなふうにからかわれても、無邪気に笑うだけなんです。
ぼくには優しくて、お年玉なんかもびっくりするくらいくれる。彼がヤクザだって知ったのは大分後になってからで……。父親が借金をつくった時に「お前のとこのガキをさらうぞ」って、筋の悪い借金取りから脅しがあったときには、叔父ちゃんに相談し、ぼくの護衛になってもらったらしい。
もちろん、叔父ちゃん本人じゃなくて、若い衆ですよ。当時ぼくは何も知らなかったけれど、登下校の際、遠くの方でギラギラした感じのヤクザが護衛をしてたなんて……そっちの方がはるかに怪しい(笑)。
そんな、叔父ちゃんには、ぼくより5つくらい年下のN君という息子がいました。
人懐っこい感じで、くりくりした目が印象的で、童顔というんでしょうか。まさか、この子の親父がヤクザだなんて教えられないとわからない感じ。
当時はあまりそうした話をしなかったけれど、大人になってからヤクザを親に持つ苦労話をよく聞きました。やはり親父がヤクザだと、色々な経験をするらしい。