かく言う私も、林眞須美が逮捕され、死刑判決が出たことを覚えているぐらいだった。この映画を観るまで、冤罪の可能性を疑ったことはなかった。
検察側は3つの点から犯人であることを証明
この映画の主役である林眞須美の現在の様子がカメラに映し出されることはない。代わりに、林眞須美が、獄中のつれづれに、家族に日記代わりに書いた膨大な量の手紙の文面が、効果的に差し込まれ、いつも映画の中心に林眞須美がいることを意識させるようになっている。
映画のタイトルとなった『マミー』とは、家族内での林眞須美の愛称である。
検察は事件当時、林眞須美が犯人であることを次の3つの点から証明しようとした。
(1)林眞須美が事件当日、カレーを作っていたという、隣家の住人の目撃証言。隣人が、林眞須美がカレーの蓋を開けたのを目撃したと証言している。
(2)シロアリ駆除業を営む夫が自宅に所有していたヒ素の組成が、殺人に使われたヒ素と同型であったという科学鑑定の結果。
(3)林眞須美が、事件前から保険金をかけた夫や知人にヒ素を飲ませ、不正に保険金を手に入れていたという事実から、軽い気持ちで、カレーにもヒ素を入れたのだろうという動機の推定。
蔑ろにされた推定無罪の原則
しかし、この映画は、この3点のいずれにも重大な瑕疵があることを丁寧に証明していく。
観ている者は徐々に、自分の“常識”を疑うようになる。本当に、林眞須美はカレーにヒ素を入れたのか、と。いや、その可能性はかなり低いな。同時に、こんないい加減な捜査と裁判で、死刑判決に至ることに空恐ろしさを感じるだろう。
疑わしきは被告の利益にという考えの裏には、たとえ証拠不足で真犯人を逃したとしても、罪なき人が冤罪でとらえられることがないようにという原理原則がある。しかし、その推定無罪の原則が、この事件では蔑ろにされている。
そうした怒りが映画監督に乗り移り、最後はジャーナリズムの枠をはみ出して暴走してしまう。