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「希林さんは、ファンからもらった柿を『これ、持っていかない?』って、私やスタッフに振る舞ってくれました。いただきものを独り占めするようなことはなく、いつも周りの人に気を遣っていましたよ」

 一見、ざっくばらんなようでいて実は細かく気配りをする様は、樹木希林を評する際によく語られる。また、器用な一面も話してくれた。

「希林さんは、共演した女優さんからもらった仕立てのいい服を、自分で手直ししていてね。『これ、自分で縫ったのよ』って見せてくれたことがあったけど、『ここは見ないでね~。裏と表を間違えて縫っちゃった』って、その部分をつまんで見せてくれました。裏だと思い込んで縫ったら表だったみたい」

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 周囲に笑いを振りまくのは、イメージ通りの樹木希林だ。

 映画(昭和60年公開)の冒頭、スキー場で着物姿の芸者たちがスキーをする場面がある。

谷口さんが見せてくれた、「菊奴」を演じる樹木希林の撮影中のひとこまを映した写真

「寒い日の撮影で、希林さんは足袋にカイロを入れてたわ。着物の下に洋服を着て、穿いているパッチ(ももひき)を、わざわざ私に見せてくれました。そのパッチは男性もので、『社会の窓』を縫ったんだって(笑)」

樹木希林が持つ“母の顔”

 飾らないエピソードの数々を楽しそうに語ってくれる佐智子さんは、樹木希林が持つ“母の顔”の一面を思い出す。

 

「初めて湯村で撮影した時のことでした。『東京で面倒を見てくれる人がいなかった』と、お嬢さんの也哉子さんを連れて来ていました。也哉子さんはおとなしくてね、言葉遣いが丁寧でお行儀がよくて。お母さんが鏡台の前に座ると、そこでお絵描きをしていたのに、すっと遠くに行く。お母さんの仕事が始まるってわかっているんです。希林さんの教育が行き届いているんだなって思いました」

 佐智子さんが最も興奮して回想したのが深夜の「洗濯」だ。