名前を褒められるのも抵抗があった
――周囲から「憧れられる存在」になるためにやったことはありますか。
金井 塾で貼り出しのある成績表で下の方になると悪目立ちすると思い、勉強を必死に頑張っていました。それ以外も、クラス委員をやったほうがいいのかなとか。でも、人をまとめられるようなキャラクターじゃないから、「得意なスポーツの方でなにかのリーダーをやったら少しイメージに近づけるのかな?」と思ったり。
――そんな努力の結果、筑波大付属中学・高校、そして慶應大学と、難関校に見事進学されています。
金井 でも、「どうしてもこの学校に行きたい」というより、高校選びも大学選びも、とにかく目立たないように心がけていたんです。悪い方向でも、いい方向でも目立ちたくなかったんですね。
――「名前どおりだね」と言われるのも抵抗があった?
金井 中高時代はそうでしたね。褒められたとしても名前をからかわれているようにしか思えなくて、「本当にそう思ってる?」と捉えてしまって。一番つらい時代でしたね。
改名を本気で考えたことも
――金井さんは小学生時代、海外で暮らしていたこともあるそうですが、そのときはまた違いましたか。
金井 小学校4年間、アメリカに住んでいて、みんなが「AKO」と呼んでくれたのですが、まったく名前が気にならなくなりました。なんて生きやすい世界なんだと感じて、ここでずっと生きていこう、と本気で思っていました。
――帰国は憂鬱だったのでは?
金井 仲のいい子に会いたいという思いはありましたが、正直、帰国したくなかったです。ただ、そのとき、「日本ではない場所でも生きていけるんだ」と強く思ったのは覚えています。名前で悩んでいた中学時代も、結局行きませんでしたが、「いつだって留学できる」と思っていました。
――改名を考えたことはありますか。
金井 あります。中学時代、名前が呼ばれるような環境に行かず、ひっそりと時間が過ぎるのを待つような一番つらい時期があって、そんなときに、「みんなからの憧れの存在じゃないのに」といういじられ方をしたんです。「この名前で生まれなきゃよかった」という思いが最高潮のところにきてしまって、母親に改名について本格的に相談しました。