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「もうあまり大したものは入っていないだろうと思っていた」800年続く京都・冷泉家の当主が、藤原定家直筆の書物発見の経緯を語った

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 2024年4月12日、冷泉家に代々伝えられながらも、約130年ものあいだ、開けられていなかった「箱」が開けられた。縦約35センチ、横約50センチ、高さ約55センチの木箱である。

 箱からは、『新古今和歌集』の選者であり「歌聖」と仰がれる藤原定家(1162~1241)直筆の書物『顕注密勘』が発見された。『顕注密勘』は日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の注釈書で、いくつもの写本が伝わっているものの原本は長く失われたとされてきた。

冷泉為人氏 ©文藝春秋

130年ぶりに箱を開けることになった

 冷泉家は、藤原俊成・定家父子を祖先に持ち、800年の歴史を持つ。代々宮中で和歌を教えてきた家として知られ、貴重な文書を数多く守ってきたその蔵は「文書の正倉院」とも呼ばれている。

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〈昭和55(1980)年から順に蔵書全体を調査するなかで、およそ130年ぶりにその箱を開けることになったものの、すでに貴重な文書は数多く発見されていましたし、もうあまり大したものは入っていないだろうと思っていました。ですから、調査を担当する学者チームから藤原定家直筆の『顕注密勘』が発見されたとの一報を受けたときには仰天しました〉

 と冷泉家第25代当主の冷泉為人氏は語る。

「一子相伝」の形式が取られてきた

 この箱が定期的に開けられていた時代もあったという。

〈『古今集』の解釈を継承することを「古今伝授」といいますが、父から一人の子のみへ口頭で伝えられる「一子相伝」の形式が取られてきたため、一代に一度、その箱を開けることは大変な吉事とされました。伝授が終わると盛大な歌会を催し、記念に「寿像」と呼ばれる御影(みえい、肖像画)を描かせたほどです〉