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まず「生きるか死ぬか」を考えた

──野球よりも、まずは生きることを選んだんですね。

赤松 そうですね。僕は命を選びました。野球を続ける以前に、まず「生きるか死ぬか」を考えたんです。生きていなければ野球もできませんから。それに当時僕は34歳で、健康だったとしてもあと何年現役生活を送れるかと考えたら、その後の人生の方が圧倒的に長い。だからまずは「生き続けること」を最優先に決断しました。

2016年4月27日、広島-ヤクルト戦で打席に立つ赤松選手 ©松本輝一/文藝春秋

──手足のしびれは今も残っているんですか。これは徐々によくなる、というわけではないのでしょうか。

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赤松 人によっても違うみたいです。消える人もいるみたいですけど、一生残る人もいて、僕は今のところ残っています。しびれがあっても力が落ちるわけではないので、握力はトレーニングで戻ります。でも感覚はなかなか戻りませんね。それでも自分では、「ラッキーだった」と思っているんですよ。

 

──どういう点が「ラッキー」だと?

赤松 まず、僕は外野手でラッキーでした。ピッチャーや内野手だったら、「感覚が鈍い」というのは致命的だと思うんです。でも僕は外野手なので、だいたいでボールを放れば内野手やキャッチャーがカバーしてくれます。

 それに、一昨年妻の付き添いで胃カメラ検査をしなければ、がんを見つけられなかった。たまたま胃カメラ検査をしたことで胃がんが見つかって、今こうして生きている。そのこともとてもラッキーでしたし、また仲間と一緒に野球ができることも、本当にラッキーなことだと思います。

(後編に続きます) 

あかまつ・まさと/1982年生まれ。京都市出身。2004年、ドラフト6巡目で阪神タイガースに入団。2008年に広島東洋カープへ移籍後、高い走塁技術と守備力で、2016年、広島のリーグ優勝に貢献した。2016年12月に胃がんがわかり、翌月手術。半年間の抗がん剤治療を経て、2017年7月に練習復帰。リハビリを重ね、2018年3月に実戦復帰を果たした。

写真=末永裕樹/文藝春秋