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 それに気付いたら、心から申し訳なくなって。いや、もっと早く気付けよっていう話なんですけどね。それでもう平謝りして、「ごめん、もう絶対に行かないよ」って約束して、事なきを得ました。

 次の日、病院に行ったら、2~3針ぐらい縫って、お医者さんから「パックリ、頭がカチ割れているけど、なにかで思いっきり殴られたんでしょ?」って。さすがにね、キャバクラで飲んでたら嫁にビール瓶で殴られましたって言えないから、酔って電信柱に頭をぶつけたんですとか、適当に誤魔化しましたけれど。

 まぁ、でもビール瓶でぶん殴ることはないでしょう。

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「あんた、そんなことも知らないの!」

 今思えば、ジェニファーはずっと辛かったんだと思うんです。子どもが生まれてから、ぼくの母親も同居することになって余計に、そうだったんでしょう。ぼくの世代にとっても、外国の人と住むってかなり特殊なことですから、母親の世代にしてみたら、もっと特殊で、彼女の文化を理解できない。家事の一切が苦手で、日本語もままならないし、年上の人を敬うみたいな文化もないから、すぐに衝突ですよ。母親も気丈な人だから、「あんた、そんなことも知らないの!」「ここは日本なんだから、それでいいの!」といった、露骨に強い言葉で詰め寄る。彼女は辛かったと思いますね。

 ぼくも、彼女の立場にたって仲裁はするんだけど、そうなってくると、今度は母親の立場がなくなっちゃうと……。よくある嫁姑の争い、それに異文化の衝突も加わって、一筋縄では収拾がつかない。これには、本当に手を焼きました。

 その頃ちょうど、パチンコが一大ブームで、30兆円産業になったと謳われ、パチンコ雑誌が異様な売れ方をし始め、つぎつぎと新しい媒体が生まれていました。ぼくの先生もその波に乗って、パチンコ漫画を描くようになったんです。最初は、雑誌「週刊モーニング」の後ろの方に描いた作品だったかな。とにかく、週刊から月刊まで色々と請け負うから、ぼくたちアシスタントの作業もかなり多忙になってきて、帰宅する時間もどんどん遅くなる。

 で、たまに早く帰っても、嫁姑の争いですよね。人生ってこんなに苦しかったかなとその頃は思っていました。彼女も頻繁に働きに出るようになって、すれ違いの生活になっていくし、子どものことは、母親に任せっきりで、妻とは家でも顔を合わせないようになっていきました。

 彼女はその頃から別の男性と仲良くなっていたんでしょうね。