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次々と増刷通知が届き「これは明らかに異常事態だと」

――「重版出来!」の知らせで、何か変だぞと。

子安 ええ。3月の初めに第6刷の通知が来たんです。この文庫は2000年1月に初版が出て、以来5刷で止まっていたんです。だから「ああ、やっと増刷か」ぐらいの気持ちでそのハガキを見ていたんです。ところが間をおかずに第7刷の通知が届いた。「へぇ」と思っていると、ほとんど日をおかずまたもや増刷の通知。これは明らかに異常事態だと。

――そんなハイペースで重版がかかっていったんですか!

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子安 第6刷が1200部、7刷が1500部、8刷が3000部の増刷でした。今、9刷、3000部の印刷をしているようです。今年の2月から4月にかけて、たちまち1万部近くの増刷。岩波文庫でこういうことは珍しいんじゃないか?

 

――岩波文庫だと吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もマンガとの相乗効果で話題ですが、しかし『仙境異聞』みたいなものが話題になるのは珍しいと思います。

子安 岩波からは増刷通知以外の連絡は何もないもんだから、増刷の原因が分からない。それでネットで検索して、はじめて『仙境異聞』をめぐる異常な事態を知りました。ツイッターでだれかが火をつけたのでしょう。ある書店員が「自分が火付け人だ」と名乗ったりしていますが、その当否は分かりません。しかしだれが火をつけたにせよ、これが燃え広がったこと自体が、校注者である私にとっても異常に思えたし、これは一体何かと考えこまざるをえない事態でした。「これは面白い読み物には違いないが、それにしてもなぜ、」とつぶやかざるを得なかったのです。

なぜ現代の日本人は「寅吉」に引かれているのか

――「それにしてもなぜ」売れているんだと子安さんは思いますか?

子安 うーん、これが分からないんだなあ……。謎の売れ方をした本といえば、昨年話題になった『応仁の乱』(中公新書)があるでしょう。あの本、僕も読んだけれども、連続する争乱を記述するだけのこの本がなぜこれほど売れるのか、その内容からあの謎は解けないでしょう。これは勝手な解釈だけど、読者の多くは、あの本に書かれている内容そのものよりも、「日本最大の内乱」という先行きの見通せない戦乱的事態と乱後の大きな歴史的転換に世界の今を重ねて、ある共感をもって読んでいるのかなぁーと思ったりしました。しかしこれは僕の解釈で、多くの人はただゲーム感覚で読んでいるのかもしれませんね。では、現代の日本人が『仙境異聞』の寅吉をめぐる話のどこに引かれたんだろうか。

 

――いつの時代も、みんなオカルトめいた話には興味を持つ気がします。UFOとか、スプーン曲げ少年とか、超能力とか、都市伝説とか。天狗にさらわれた少年というのも、まさにそっち系なんじゃないですか。

子安 奇談、異聞の類ですね。まさに寅吉に興味をもって集まってくる当時の学者たちはみんな奇談愛好家の側面を持っていました。平田篤胤の学友、門下生の山崎美成(よししげ)、屋代弘賢(ひろかた)、伴信友、佐藤信淵、国友能当(よしまさ)らは、人に知られていない文献を披露しあったり、舶来品を見せ合ったり、知的サロンを形成していたんです。特に山崎と屋代は、『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴らと一緒に「兎園会」という奇事異聞を報告し合うサークルまで結成するほど好きだった。