要介護高齢者への訪問診療を続ける歯科医師の角田愛美氏は、要介護に備えての“戦略的抜歯”を推奨している。その理由とは?

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ここは日本なの?……要介護高齢者の口の中

「ここは、本当に日本なのか?」

 もう20年以上も前のこと。勤務医として在宅の要介護高齢者の訪問診療を始めた私は目を疑いました。歯垢が澱のように分厚く堆積し、唇には褥瘡、残された数本の歯が屹立するその風景は、まるで荒野――。世界でも稀に見る清潔さで知られるこの国で、患者の口の中に広がる世界は、発展途上国か、はたまた戦後の焼け野原かと見紛うものでした。

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 東京医科歯科大学歯学部大学院に在学中、勤務医としても働き始めた私は当時、29歳。眼前の現実に衝撃を受けると同時に、大きな可能性も感じて訪問歯科の世界にどっぷりとのめり込んでいきました。

 女性も男性も、お金持ちもそうでない人も、学歴の高い人も低い人も、要介護高齢者の口腔環境は、みな平等に惨憺たる有り様です。

 残った歯のすべてに虫歯を発症している方。虫歯で歯冠(歯の頭)が溶け崩れ、残根(歯肉に埋まった歯の根)が放置されている方。傾いた歯が頬を刺激し、口内炎だらけの方。なぜか1本だけ残してある歯の周囲が炎症を起こし、少しの刺激でも血が溢れ出る方。入れ歯の下に排水口のヌメリのような汚れがこびり付いた方……。傾いた歯は頬を貫通しそうになって初めて訪問歯科医が呼ばれるのが介護現場の実態です。比較的恵まれた環境とされる在宅介護ですら、口腔衛生を保つのが難しい現実があります。元気だった頃に800万円もかけて治療を尽くし、総インプラントの牙城を築いた方も、要介護となるやインプラントの周囲は歯垢が溜まり、炎症。きらびやかな豪邸もひとたび無人になればたちまち廃墟と化すように、機能が低下しメンテナンスを怠った口内環境は、瞬く間に崩壊します。

汚染された口内でケアされずに放置された歯(角田医師提供)

「口の中の健康を起点に、みなさまの人生をより豊かにしたい」

 私の志はシンプルです。今回は、在野の歯科医師の立場から、“長寿大国ニッポンの不都合な真実”を皆様にお伝えしたいと思います。

歯周病から誤嚥性肺炎に

 2020年に東京・江東区に開業した「角田愛美歯科医院」では、歯科医院に行きたくても行けない要介護高齢者への訪問診療を中心に診療をしています。当院では月に300人前後の在宅診療を続けてきました。

 介護現場の歯科医療に私が大きな危機感を抱く理由は、それが「命にかかわる問題」だからです。