「虫歯や歯周病が原因で、大切な家族が命を落とすかもしれない」

 そう考えたことのある人は、果たしてどのくらいいるでしょうか? 実は、口腔内トラブルは深刻な全身疾患への入口となるのです。

 まず、大前提として、人間の身体はロボットのような部品の組み合わせではありません。全身の機能が様々に連関し相互に影響し合いながらバランスを取っているため、どこかに生じた問題を放置すれば、まるで“ドミノ倒し”のように悪循環に陥ってしまいます。

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歯科医師の角田愛美氏(本人提供)

 口の中の粘膜は血管を通じて全身に繋がっているため、虫歯や歯周病などは必然的に、全身の健康に影響を及ぼします。特に問題なのが、生活習慣病との関連。喫煙や糖尿病が歯周病を悪化させることは知られてきていますが、反対に、歯周病の病巣から放出される炎症性物質がインスリンの働きを低下させ、糖尿病を悪化させる。また、動脈を硬化させて心筋梗塞や脳梗塞のリスクを増大させることも指摘されています。

 昨今、誤嚥性肺炎が高齢者に多い死亡原因として知られていますが、これは誤嚥により口内細菌が気管支から肺に入ることで起こります。また、歯周病菌がアルツハイマー病を悪化させることも分かってきています。要介護高齢者には、原因不明の発熱を繰り返す患者さんが多くいますが、実は口内細菌の増殖に起因する場合も少なくない。口腔内の炎症を放置すると、細菌は血流にのって菌血症や敗血症を引き起こし、免疫力の低下した高齢者では、最悪の場合、死に繋がってしまうのです。

要介護者には「命を奪う感染源」

 要介護者の場合、口腔状況の悪化がとかく放置されがちです。介護に携わる家族やヘルパーさんが歯科の知識を持ち合わせていることは少なく、歯科治療は後回しになる。

 虫歯や歯周病菌はバイオフィルムというばい菌の集合体を形成し増殖していくため、免疫力が低下し、メンテナンスが疎かになった要介護者の口内細菌数は、驚くことに排水口や肛門と同等レベルにまで達します。健康な人にとっては財産である歯が、要介護者にとっては命を奪う危険な感染源となるのです。

折れた歯がそのまま放置され残根だらけに(角田医師提供)

「歯さえなければ!」

 歯科医師としては逆説的ですが、患者さんの悲惨な状況を目の当たりにする度こう叫びたくなるのです。残根を残さずきちんと抜歯され、歯茎と入れ歯だけの状態であれば、口腔ケアは格段に楽になり、ご家族やヘルパーさんでも容易に清潔を保つことができます。うがいや、口内を拭うだけでも細菌の繁殖を抑制することができるからです。

 ですから、私は勇気を出してこう訴えたいのです。

「要介護に備えて、戦略的に歯を抜きましょう!」と。

本記事の全文は、「文藝春秋」2024年7月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「口の老化 戦略的な抜歯のすすめ」)。

 

全文では、「八〇二〇運動の功罪」「75歳にインプラントは必要か」「入れ歯は認知機能の低下前に」などを具体的に解説しています。