「弱いから」カープが好き
西川 そもそも、久米さんは埼玉県出身なのに、なぜカープファンになったんですか? 私は昔、久米さんがファンと知って「やっぱり知的な文化人はカープファンだよな」と思ったりもしましたが。
久米 上手いですね(笑)。筑紫哲也さんも大分県出身なのにカープファンでしたね。理由を聞いたけど「分からないんですよね」と言ってましたが。僕の場合は、TBSで同期のアナウンサーだった林美雄(よしお)君に感化されたのが理由なんです。
西川 長年、TBSラジオの『パックインミュージック』のパーソナリティを務めていた方ですね。
久米 そう。彼はカープが勝てば泣いて喜び、負ければ泣いて悔しがる人でした。入社して間もなく、僕は結核に罹ってしまって、復帰後もアナウンス室の電話番をしていたのですが、林君は親切だからよく話しかけに来てくれたんです。でも隣に座って、ずっと「カープがいかに素晴らしい球団か」という話をしゃべってる。ある時、どこがそんなに好きなのかと聞くと「弱いからだ」と。何年間も折伏(しゃくぶく)されているうちに、1975年を迎えたのです。
西川 古葉竹識(たけし)監督のもと、カープが初のリーグ優勝をした年ですね。衣笠さんや山本浩二さんらが大活躍した。
久米 忘れもしない、『ぴったし カン・カン』がスタートして2週目の生放送の翌日でした。林君が目を赤くして、泣きはらしていたのを見て、「きっといい球団なんだろうな」と思って、僕もボロ球場に足繁く通うようになってしまった。西川さんは、昔の広島市民球場に行かれたことあります?
西川 中高時代は子供だけでしょっちゅう。当時は試合終盤になると、小学生はタダで入れてもらえてたとか。大らかな時代でした。
久米 あの球場のトイレは目がチカチカするほど臭くてね。ベンチと近いから、外国人選手なんて、よく9回まで座っていたと思いますよ。
西川 ひどい言われよう(笑)。いまの球場はキレイですよね。
久米 2009年、新球場のこけら落としは苦労してチケットを取って、奥さんと見に行きました。中日戦でしたが、初回からコテンパンに打たれて、1-9になった6回で帰りました。いつもは負けていても最後まで見るのですが、新球場の最初の試合で無様な姿を見せられて腹が立って……。
西川 大事な時こそボロ負けしてしまうんですよね。
久米 でも林君は、ここ一番で負けるカープが好きなんだと力説するんです。「それが人生なんだ。カープを見ているとちゃんとした人間になれる。人生の師だ」と。
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本記事の全文は、「文藝春秋」2024年7月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(久米宏×西川美和「たかがテレビじゃないか」)。