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 現代人の目からは、シーレが同時代人だったことでクリムトはいっそう引き立つが、逆にクリムトによってシーレが引き立つようには感じられないのはなぜだろう?

父の死がもたらした肉体への執着

シーレ『着席した男性のヌード(自画像)』(1910年 油彩・オペークカラー・キャンバス)レオポルド美術館(オーストリア)

 シーレは、ウィーン北西30キロの距離にある古都トゥルンで生まれた(今ではエゴン・シーレ美術館がある)。

 父はトゥルン駅長で、一家は駅舎の二階に住んだ。鉄道は国営だったから父は関連の証券も保有し、比較的豊かな中産階級の暮らしを送ることができた。子どもは早逝した二人をのぞいて4人。シーレは姉二人妹一人にはさまれた唯一の男児だった。ハンサムでおしゃれな父は野外劇パレードでコスプレをしたり、一人息子を可愛がって汽車や馬車に乗せての小旅行など贅沢を教え、レール付きの大きな鉄道模型も与えた。日々、汽車の音を聞き、汽車を見て育ったシーレが模型に夢中になり、また鉄道の絵も飽きず描いたのは必然だろう。

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 だが学校でのシーレの出来は芳しくなかった。勉学に興味はなく、友達もできない。絵だけは突出して上手いが、周りからは浮いていた。そのうち引きこもりがちになる。期待を裏切られた父が絵を描く時間を減らそうと、シーレの汽車の絵を燃やしたことさえあるが無駄だった。絵に対する情熱は誰にも止められず、題材の幅が広がっただけだ。

 父に異変が起きたのは、シーレが十二歳頃だ。結婚前から罹患していたと思しき梅毒が原因だった。ツヴァイクの『昨日の世界』によれば、当時のウィーンの若者の一、二割が梅毒に罹患していたというから、この時代は性病の時代でもあったのだ。

 ゆっくりと父の梅毒は脳へまわり、仕事ができなくなって退職した。一家は近くの町へ引っ越し、生活は暗転する。そしてシーレが14歳の時、ついに父は狂死した。大好きだった父親が全く別人格となって崩壊してゆく様を目の当たりにした思春期の少年に、それがどれほどの破壊力であったかは想像に難くない。

 同じような形で祖父と父を亡くしたデンマークの童話作家アンデルセンが、自分もいつか頭がおかしくなるのではと生涯怯え続け、その恐怖が「生きたままの埋葬」という強迫観念の形を取ったことが思い出される。アンデルセンは旅先のホテルへは常に脱出用ロープを持参し、ベッドサイドテーブルの上には「死んでいるように見えるかもしれませんが、まだ生きています」とメモを置くのを忘れなかった。