木内 まず、第一印象がよくなかった。僕は87年のベルギーGPが初めてのF1の現場だったのですが、ガレージに行くと、セナが工具の入った赤いツールボックスの上にでんと座っているんですよ。サングラスをかけて偉そうにしていてね。メカニックにとって工具は大事な仕事道具だから、「許せん!」と思ったのが最初の印象でした。
中嶋 でもセナは、自分のマシンのサイド・ポンツーン(車体の側面)に座られると怒るんだよ(笑)。
意外に足は遅かった?
木内 そう。レース以外では抜けているところの多いヤツで、身体能力も決して高くはありませんでした。ある日の休憩中、マシン用のスピード計測装置を使って、チームのみんなで駆けっこの速さを測って遊んでいたんです。ドライバーなら足も速いのかと思って、「セナも走ってみろよ」って走らせたら、誰よりも遅かった。本人は本気だけど、誰もが「本気で走ってるの!?」と驚くくらい。
古舘 ライバルのアラン・プロストは首が太かったし、ナイジェル・マンセルも筋骨隆々。一方のセナは線が細くて、レース後に疲労から立ち上がれない姿も見られました。
抜けているところといえば、セナと中嶋さんが87年のモナコGP後のパーティーにカジュアルなジャケット姿で参加してしまったというエピソードは、中嶋さんから聞いて今でもよく覚えています。
中嶋 そうそう。セナが初めてモナコGPを制した時で、社交界の錚々たる顔ぶれが揃ってた。当然みんなタキシード姿なんだけど、セナは優勝できると思っていなくて、普通のジャケットで来ちゃった。チャンピオンなのに、「こういう服で行くのは失礼だったかな」なんて呟くくらいに目立っちゃったんだよね。
古舘 当時のF1は特に、「ヨーロッパ文化」という色合いが強かったですからね。
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本記事の全文「没後30年 アイルトン・セナよ、永遠に」は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h8150
本編(9000字)では、愛称「音速の貴公子」が生まれた舞台裏、中嶋悟氏が「セナ足」を認めないワケなどについて、さらに3人が語り合います。